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(谷が迫っており険しい山道。谷底が見えない)
(坂本宿7)
峠の熊野神社まであと6.4km地点から少し登りになるが、勾配は僅かである。
やがて「堀切」といい、道の両サイドが急な谷になっている場所を通る。
松井田町の補陀寺にお墓があった松井田城主 大道寺駿河守信繁が戦った場所といわれる。
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(南向馬頭観音)
道はだらだら下り坂になり、南向き馬頭観世音(施主 坂本宿 七之助とある)があり、
ここでは昔山賊が出たといわれる。
さらに進むと、北向き馬頭観世音を見ることが出来る。この観世音は文化十五年 信州善光寺
施主は何名かの名の他に坂本宿世話人の名がある。
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(北向き馬頭観音。背景が南側で明るい)
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(山道の横は谷が深い)
馬頭観世音がある場所は通るのに危険なところにある。
昔は馬に荷駄をつけて、馬子が手綱を引いて登ったり降ったりしたのであろう。
山道の危険なところや事故があったところに、馬頭観世音を設置したものと思われる。
今ではこんな石ごろの山道でも、一応整備されているのだろうが、
昔はきっともっと道も狭く、重い荷駄を背負った馬も、ボクの足がうまく前に進まなかったように、
馬の足も重く、進まなかったに違いない。それでも馬子は仕事だから無理やり馬を前に進めて、
時には嫌がる馬の足がもつれたりして、谷底に落ちるというような悲劇もあったに違いない。
そこで馬子は馬頭観音像を建立して、苦労に報い浄土での安楽を祈ったのであろう。
そんな意味で、こうした馬頭観音が建っている場所は、危険な山道の印であること間違いない。
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(ごろ石の上り坂)
これら観世音像を横目に見て、進むと「座頭ころがし」という急坂に出る。
石がごろごろした登り道になる。
「座頭コロガシ」 盲人がが旅するのは並大抵のことではなかったであろう。
足場が悪く、急坂道を登り、ごろ石に足をとられて転ぶと転がるように
坂道を転げていったことだろう。そんなシーンを容易に思い浮かべることが出来る
ごろ石の坂道である。
所々に「熊出没注意」が張り出してある。
中山道口バス停からは、熊よけの鈴をリュックから出してチリンチリン言わせながら登ってきた。
野生の熊と鉢合わせした場合、どう対処したらよいか誰にも聞いてこなかった。
何よりも熊を刺激しないように、人間が近づいていることを知らせるために、
鈴をつけ、大声で歌を歌うのが最善とは、山深いカナダで聞いた話である。
熊は臆病だから、人が近づくことが解れば先に逃げ出してくれる、と聞いている。
それくらいの知識しかない超初心者のボクである。
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(熊注意)
のぼり坂で何度も立ち止まり、腰を下ろすことなく、立ったまま何度も何度も休憩しながら歩く。
もう先に進むのが嫌になる。誰かおんぶか抱っこしてくれないかと思う。
引き返すわけにもいかず、さりとて先は上り坂道、山の中ではタクシーもないし、
第一車が通れるような道ではない。助けられるとしたら、ヘリコプターしか乗り物は無理だろう。
二度と山登りなんかするものか・・・そのような思いが頭をよぎる。
「山中茶屋入り口の線刻の馬頭観音」のある場所を抜ける。
通らねばならぬきびしい山道を通り過ぎると下り坂になり、「山中茶屋」に出る。
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(上り坂)
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(線で刻んだ馬頭観音)
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(新緑の美しい山道を抜けると山中茶屋跡がある)
案内によれば、
「山中茶屋は峠の真ん中にある茶屋で、慶安年中(1648~)に
峠町の人が川水を汲み上げるところに茶屋を開いた。
寛文二年(1662)には13軒の立場茶屋ができ、力餅、わらび餅を名物にして、
寺もあり、茶屋本陣には上段の間が二ヶ所あった。
明治のころ小学校もあって、明治11年明治天皇北陸巡幸の節、
教育振興のため25人の生徒の奨学金として、金25両を下賜された。」
(松井田町教育委員会)
峠まで3kmとある。
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(山中茶屋跡の看板。左奥に建物の残骸が見える。)
でも、なあんだ、ちゃんと奥様といっしょだったのね。よかった、よかった!次からは安心して読んでいきます。(^。^)
カミサンがついてきたのは今回始めてですが、
山の中で動けなくなるのを心配してのことです。
この後、旧中山道は笠取峠、和田峠、馬篭、妻籠と続きます。笠取峠を除いて、カミサンはついてくるようです。
島崎藤村が「夜明け前」で書いたように、
木曽路はすべて山の中です。
第一、「中山道」とは、山の中の道ですから、旅する人には、楽ではなかったようです。
もし教えてくだされば お迎えに出ますよ。 奥様と一緒にどうぞ。
木曽路では 奈良井から鳥居峠が辛かった。春まだ早くて雪が多かったので 遭難一歩手前でした。 ちゃんと役場の人に確かめていったのに・・・
でも一番の難所は 八ヶ岳の近く 笠取峠や和田峠でしょうか? 無理をしないで いくつかに分けてゆっくりお進みくださいね。
この先は秋になってから計画しています。
無理のないように、笠取峠に一日、和田峠には前日一泊して朝早く出発したいと思っています。
中山道69次の内、宿場間の距離が22kmと最大になっており、しかも山道ですから。
碓氷峠が中山道中もっとも険阻だといいますから、
乗り越えられるでしょう。