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(十王水)
(醒ヶ井宿 3)
その先左手の地蔵川の中に「十王水」の石灯篭が建っている。
灯籠の竿部分に「十王」と刻まれている。
(平安中期の天台宗の高僧・浄蔵法師が諸国遍歴の途中、
この水源を開き、仏縁を結ばれたと伝えられる。
もとより浄蔵水と称すべき所を、
近くに十王堂があったことから
「十王水」と呼ばれるようになった。)という。
水は透き通って清らかである。
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(居醒橋)
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(西行水の案内)
その先の右手に居醒橋があり、
その袂に「西行水」左の案内杭があるので、そちらに向う。
滋賀県に入って、距離の入ったこの案内杭は大変役にたった。
醒ヶ井の宿場を抜けていくと、左に「西行水」の目に付く看板があるので、
そこを左折すると、広場になっており、突き当たりは山すその崖で、
崖下を地蔵川が流れている。
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(西行水の案内看板)
左の方に泡子塚のの説明板がある。
(岩の上には、仁安三戌子年秋建立の五輪塔があり、
「一煎一服一期終即今端的雲脚泡」の十四文字が刻まれている。
伝説では、西行法師東遊のとき、
この泉の畔で休息されたところ、茶店の娘が西行に恋をし、
西行の発った後の呑み残しの茶の泡を飲むと、
不思議にも懐妊し、男の子を出産しました。
その後西行法師が関東からの帰途またこの茶店で休息した時、
娘よりことの一部始終を聞いた法師は、児を熟視して、
「今一滴の泡変じてこれ児となる、
もし我が子ならば元の泡に返れ」と祈り、
・水上は 清き流れの醒井に
浮世の垢をすすぎてやみん
と詠むと、児はたちまち消えて、元の泡になりました。
西行は、実に我が子なりと、この所に石塔を建てたということです。
今もこの辺りの小字名を児醒ヶ井といいます。)とある。
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(西行水のある広場)
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「(西行水」と五輪塔)
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(「西行水」の水源湧水)
西行水の跡地を出て、中山道を西に進むと、
T字路右角の地蔵川脇に立っている、
「番場宿1里」の道標がある。
登り坂の道路を進むと十字路に出でる。
手前左には、近江西国第十三番「霊場 松尾寺」の石塔があり、
十字路を渡った右に「東海北陸自然歩道」の案内柱が建っており、
これは左を指している。
左を見ると、高速道路が走っており、
高速道路に沿って手前を右折する「東海北陸自然歩道」の案内が見える。
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((T字路角の案内石柱)
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(石柱の拡大)
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(十字路)
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(松尾寺の石柱)
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(「東海北陸自然歩道」の案内)
どうもこれは違っている様子。
もう一度、十字路先を見ると、「東海北陸自然歩道」の道標の右横に、
中山道の案内が見えた。
この案内によると中山道は直進するようになっている。
道標にしたがって直進すると国道21号線に突き当たる。
案内によるとこの辺りに「一類孤魂等衆」の碑があるはずで、
文字の意味がわからなくて記憶に残っている碑があるはずと、
廻りを見渡すと道路の向こうに大きな木があり、
その下に供養碑はあった。
交通量が多く、渡るのにも注意をして行く。
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(「一類孤魂等衆」の碑)
(江戸時代後期のある日、東の見附の石垣にもたれて、
一人の旅の老人が「母親の乳が飲みたい・・・」と
つぶやいていた。人々は相手にしなかったが、
乳飲み子を抱いた一人の母親が気の毒に思い、
「私の乳でよかったら」と自分の乳房をふくませてやりました。
老人は、二口三口美味しそうに飲むと、
目に涙を浮べ、
「有難うございました。懐に七十両の金があるので貴女に差し上げます」
といい終わると、母親に抱かれて眠る子のように、
安らかに往生を遂げました。
この母親は、お金を戴くことは出来ないと、
老人が埋葬された墓地の傍らに、
「一類孤魂等衆」の碑を建て供養したと伝えられています。)
旧中山道はこの碑の先しばらく国道21号線に合流するのですが、
すぐ先に丹生川(にゅうがわ)があります。
その川の橋を渡ることになるのですが、
生憎、橋は交通量が多いため自動車道と歩道に区切られていて、
しかもその歩道は今ある供養碑の反対側にある。
すばやく道路を渡り、歩道橋を渡る。
次に中山道は21号線から分かれて右へ行かなければならず、
交通量の多い21号線を再び横断する。
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(丹生川の歩道用の橋)
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(橋を渡り終えたら右側へ渡る)
横断した所から21号線は右側に歩道があり、すぐ先に右折する道が見える。
右折すると、大きな看板で「中山道」とある。
中山道はここから車も人通りもなく田舎道でホッとする。
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(右折した道路にある「中山道」の看板)
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(街道らしい佇まい)
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(お休みどころ「いっぷく場」)
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(中山道 樋口の手書き案内)
印象に残る「いっぷく場」の古い家、中山道樋口の案内、
そして出たところが(樋口)の信号、左手に畳屋を見て、
ここで21号線を横断し直進する。
中山道番場宿まであと1kmの手書き案内も役にたつ。
回りの風景が山に囲まれた田園風景の中を進む。
左手の案内杭では、番場宿まであと1.5kmとある。
やがて右手に、真宗大谷派「敬永寺」があり、
その脇に米原市米原地域福祉センター
「ゆめホール」の立派な建物があり、
お年寄りを送り迎えする大きなバスが数台駐車している。
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(樋口の信号と畳屋の看板)
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(番場宿まであと1kmとある。)
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(田園風景の中)
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(番場宿まであと1.5kmの案内)
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(敬永寺)
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(ゆめホールと駐車場)
その先右手にある、大きな案内地図によると、
この先道路は北陸自動車道にぶつかり左折する。
次いでこの高速道路のガードをくぐると、
右手に小公園があり、公園の中ほどに大きな
「中山道 一里塚の跡」の石碑がある。。
久礼の一里塚で、江戸から数えて117番目の一里塚、
京三条へ約19里(75km)である。
ここから番場宿に入っていく。
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(地図)
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(自動車道に突き当たりを左折)
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(高速道路のガードをくぐる)
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(右手の小公園)
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(久禮の一里塚跡の碑)
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