雄介食べ歩きBLOG

プロ野球開幕戦がめちゃくちゃ待ち遠しいです⚾
平手友梨奈ちゃんが大好きです(*´ω`*)✨
欅坂46も好き😍

スカイツリーボール

2014年06月01日 | 日記

◇交流戦 日本ハム1―4阪神(2014年5月31日 札幌D)

 東京都墨田区出身の日本ハム・多田野が超スローボール「スカイツリーボール」で沸かせた。

 前日5月31日に1軍に昇格し、この試合が今季初登板。8回から4番手としてマウンドに上がると、先頭のゴメスに対し1ボール2ストライクからの4球目、山なりの超スローボールを投げ込んだ。

 意表を突かれたのか、ゴメスはバットを振らずに見逃して苦笑い。計測不能の“遅球”は外角高めにわずかに外れてボールとなったが、多田野は続く球速差の大きい直球で4番を三ゴロに打ち取った。

 多田野は1死から味方失策で走者を出すも、今成、梅野を打ち取って無失点で終えた。
※引用しました。


交流戦単独首位

2014年06月01日 | 日記

◇交流戦 巨人2―1オリックス(2014年6月1日 京セラD)

 前日に続いて投手戦となったこのカード。巨人が5回に挙げた2点を6人の継投で守りきり3連勝。同率首位で並んでいたロッテが敗れたため、交流戦単独首位となった。

 先発の杉内は5回2/3、93球、4安打1失点、7奪三振で今季5勝目、交流戦では歴代最多の26勝目をマークした。

 ディクソン、杉内が好投を続ける中、初回にオリックス・糸井が自打球を口元に当てて交代するアクシデントもあったが、試合が動いたのは5回。

 この回先頭の巨人・阿部の左翼への当たりが大きくバウンドし、左翼手・宮崎の頭上を越えて二塁打。続く村田が内野安打で続き無死一、三塁で、前日に今季1軍初出場で延長12回に決勝弾を放った亀井が、この日も右翼線へタイムリー安打を放って先制した。1死二、三塁で杉内がスクイズを試みるも空振りで三塁走者の村田も飛び出してアウトとなったが、杉内の打球が捕手前で高く弾んで内野安打となり、1点を加えた。

 オリックスは6回、川端の安打と2四球で2死満塁とし、ここで杉内は交代。安達が代わった福田から押し出しの四球を選び1点差としたが追い付けなかった。

 ディクソンは6回2/3、109球、7安打、2失点で4敗目。
※引用しました。


耐えて勝つ

2014年06月01日 | 日記

プロ野球巨人・原辰徳監督(55)の父で、東海大系列校野球部顧問の原貢(はら・みつぐ)氏が29日午後10時40分、心不全のため神奈川県内の病院で死去した。79歳だった。通夜・葬儀は近く近親者のみで行い、7月14日午前11時から東京都文京区の東京ドームホテルで「お別れの会」が開かれる。貢氏は三池工、東海大相模の監督として夏の甲子園を2度制覇した。長男・辰徳との「父子鷹」でも春夏合わせて4度甲子園に出場。東海大でも指揮を執り、「野球人・原辰徳」の最大の恩師だった。

 オリックスとの5時間1分に及ぶ死闘を制し、原監督は「いろいろな勝負があるが、まさに無限大の勝負があると身をもって知った。古葉(竹識)監督の言葉に“耐えて勝つ”というのがありますが、私の心の中にもいつもある。まさにそれを実践することができた」。広島や南海で活躍し、現在は東京国際大監督を務める名将の言葉を借りて振り返った。

 その後、巨人球団広報部から父・貢氏が5月29日に死去していたことが発表された。すでに、原監督は帰りのバスの車中。死去から2日後の発表は遺族の意向によるもので、オリックス戦のために大阪滞在中の原監督は今後も帰京することなく、次戦のソフトバンクとの福岡遠征も指揮を執り、密葬後にコメントを発表する予定だという。

 貢氏は心筋梗塞に大動脈解離を併発させ、5月4日に入院。原監督は翌5日の中日戦(ナゴヤドーム)の指揮を川相ヘッドコーチに託し、緊急帰京した。そして9~11日の阪神3連戦(甲子園)のミーティングの中で、初めて選手に対して父の病状を語った。グラウンド内では勝負師に徹し、私情を持ち込むことはなかった。一方で、病院に近い横浜市内のホテルに泊まって看病に努めた。一時は、原監督が「楽観はできないが、少し良くなってきたかな」と話したように、回復の兆しもみられたが、29日の楽天戦(東京ドーム)後に訃報が届いた。

 貢氏は野球の持つ不思議さと面白さを、高校野球を通じて甲子園で体現した指導者だった。「相手をしのぐファイトと基本プレーで戦う」。そこに知恵を重ねていく。2度の全国優勝は、いわば「原魔術」がもたらした芸術品といえた。65年の三池工、70年の東海大相模。頂点に立ったチームは、いずれも下馬評に挙げられるようなメンバーではなかった。原采配は劣る戦力をまとめて強敵を倒すという痛快な戦いを得意とし、戦国時代の軍師をほうふつさせた。三池工は初の工業高優勝だけでなく、地元の石炭産業が陰っていた時代で「ボタ山に光」という感動の出来事でもあった。

 また、東海大相模時代は強打にバントをしつこく組み合わせたが、勝因は守りにあった。打者ごとにデータに基づく大胆な守備位置を取り、何度もピンチで痛烈な当たりを未然に防いだ。用心深さと用意周到さ。原辰徳監督がWBCで抑えにダルビッシュ(現レンジャーズ)を起用したのも、一分の隙を見せずに勝ち抜いてきた父の雄姿を胸に焼き付けてきたからだろう。

 長男・辰徳氏が東海大相模に入学してからは「父子鷹」として話題を集めた。他の部員以上に厳しく接し、九州男児の激しさを爆発させるかのように何度も鉄拳を浴びせた。一方で、原辰徳監督が「水泳や筋力トレーニングなど積極的に取り入れていた」と述懐するように、当時は御法度とされていた練習も奨励した。そして3年夏の大会後に、父の顔に戻った貢氏は「お前、つらかっただろう。俺もつらかったんだよ」と声をかけた。

 貢氏に近い関係者によると、辰徳氏が幼少の頃から「息子を巨人の4番にする」と言い続けていたという。その夢はかなった。今年2月には巨人の沖縄キャンプを訪問。孫の菅野が先発した4月29日のヤクルト戦(東京ドーム)にも観戦に訪れるなど、最後まで野球を愛し続けた。

 ▼広島・苑田聡彦スカウト統括部長(三池工の最初の教え子)まさかこうなるとは思わなかった。一から十まで教わった恩師だった。入院された時もお見舞いは行かないと決めていた。僕らは元気な原さんしか知らないから。元気になったら会いに行こうと思っていたが、こんなことになってしまって本当に悲しい。

 ◆原 貢(はら・みつぐ)1935年(昭10)3月30日、佐賀県生まれ。鳥栖工(佐賀)から立命大に進み、中退後は社会人野球の東洋高圧大牟田でプレーした。65年に三池工(福岡)の監督として、夏の全国高校選手権大会で初出場初優勝。翌66年からは東海大相模(神奈川)で監督を務め、70年夏の選手権で全国優勝。辰徳氏が入学して2年生だった75年は、春の選抜大会で準優勝した。77年に辰徳氏の東海大進学とともに同大監督に就任。東海大で一度は監督を退いたが再び指揮を執って96年に退任し、その後は野球部の顧問などを務めていた。巨人・菅野智之投手は孫。
※引用しました。


婚姻届を提出

2014年06月01日 | 日記

元メジャーリーガーで野球解説者のマック鈴木氏(39)と、漫才コンビ・クワバタオハラの小原正子(38)が結婚したことが、わかった。1日、双方の所属事務所がFAXで発表した。二人はきのう5月31日に、兵庫県内の区役所に婚姻届を提出。挙式・披露宴については未定としている。

 二人の出会いは2011年の秋。小原が経営している都内の飲食店を鈴木氏が知人とともに訪れ、たまたま店に顔を出していた小原と知り合ったという。その後、昨年春頃から本格的な交際に発展。今年の2月に結婚を決めたという。小原は現在妊娠はしておらず、当面は、小原が兵庫と東京の住まいを行ったり来たりする生活になるとしている。

 また同日、自身のブログを更新した小原は「マック鈴木さんのお誕生日に、入籍しましたーー!」と報告。「大好きな人の嫁さんに、なりました! なれました!!! めっちゃくちゃ、嬉しいです!」と喜びを爆発させ、「これから、より相手を理解しあい、しっかり支えあい、周りの方々に感謝して、愛しあっていきたいです!」と誓っている。
※引用しました。


挙式・披露宴

2014年06月01日 | 日記

昨年7月に男子プロバスケットボールの五十嵐圭(34=三菱電機)と結婚した元フジテレビのフリーアナウンサー、本田朋子(30)が31日、東京・六本木のグランドハイアット東京で挙式・披露宴を行った。

 新郎は安堵披露宴を終えた五十嵐は「無事に終えることができてよかったです」と安堵(あんど)の笑顔。チームメートも祝福に駆けつけ「たくさんの方々からお祝いのお言葉をいただくこともできて、より一層責任感を持って2人で過ごしていきたいと思いました」と決意を新たにしていた。
※引用しました。