江戸時代になり、世の中が落ち着きを取り戻す。すると都市に人口が集中してきて、庶民が娯楽をもとめるようになった。
歌舞伎=慶長八年〈1603〉出雲阿国――江戸に中村座〈1624〉
落語=元禄期〈1700頃〉京に露の五郎兵衛、大阪に米沢彦八、江戸に鹿野武左衛門が登場
俄=享保末〈1730頃〉住吉祭りの男が登場――大阪俄へ。
「俄とは落語が立って歩くなり」という古川柳がある。
扮装するか、小道具を持って街に出て、一言で落語のようなオチを付ける。
歌舞伎のように踊りや歌の素養はいらない。落語のように知識や話芸は必要ない。一般庶民にとってはうってつけの芸である。俄はあっという間に大阪市中に広まっていった。
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「俄じゃ、俄じゃ! 思い出した(思いついた)!」と囃して通りを歩く。誰かが「所望、所望(やってくれ)」と声をかけると、一言でオチを付ける。
『古今俄選』に初期の俄がいくつか紹介されている。俄の原型である。
○子どもが、長いふんどしの先に茶碗を二つくくりつけて、引きずって歩いている。「所望、所望」と声をかけると、子どもが「ワンワンとお散歩してるねん」
○祭の日に、夕立があって大きな雷が鳴った。晴れて後、男が鬼の格好をしてぺこぺこと頭を下げて歩いている。「所望、所望」と声をかけると、男が「先ほどは、おやかましゅうございました」
絵入のものもあるので紹介する。
俄をやってお金をもらうわけではない。庶民にとって俄は遊び、戯れだった。
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