ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

松野博一官房長官の「新基地」発言を徹底的に追及しよう(20220218)

2022年02月18日 | 暮らしと政治

(Ⅰ)松野博一官房長官が「新基地建設」と口走る

 松野博一官房長官が2022年2月15日「渡具知武豊市長との面会後の記者会見で、『名護市には、辺野古の新基地建設など大きな負担をお願いしている。地元の要望を丁寧に伺い、取り組みを進めたい』」と述べたようだ(下線、引用者)。記者から「新基地」の認識を問われると、「辺野古移設が唯一の解決策との考えに変わりはない」と言い直したとのこと。
 こう報じた沖縄タイムス(2022年2月16日)に「官房長官ぽろり『新基地』」と見出しが付けられていた。松野官房長官は、なかなか興味深い発言をするものだ。これは、氏の本音が、口が滑ったのかもしれない。大いに注目すべき発言だと、私は考える。ここに、本質的な問題を含んでいるからだ。以下、私なりの検討を加えたい。
 
 沖縄などの運動圏の世界では、「新基地建設反対・阻止」と主張されてきた。普天間基地は2800m滑走路をもち、ヘリやオスプレイの飛行場であるばかりか、嘉手納基地を補完する航空基地でもあり、辺野古新基地は当初から、全長1800m(滑走路の前後にオーバーラン100m×2本を含む)であり、現行の普天間基地の代替機能を備えていない。よって辺野古に備えることのできない機能を沖縄内外の施設・基地に割りふる条件がつけられた計画になっている。
 また、現行の普天間基地には、装弾場がない。住宅街の真ん中にあり、米軍の安全基準からしても、装弾等のために嘉手納基地に飛ばなければならないのだ(行き、帰り)。さらに新基地建設という所以は、大浦湾に岸壁を造り、ドック型揚陸艦の入港を可能とする計画だ。ここからキャンプ・シュワブの海兵隊の陸上戦闘員を乗せることができ、水陸両用装甲車やLCAC(ホバークラフト型揚陸艇)、輸送艇の利用も速やかに行える。
 もう一点、私は追加しておきたい。ここは既設のキャンプ・シュワブ演習場の一角だ。海兵隊は陸上戦闘に止まらず、海上・ヘリ航空戦闘も行う多用途部隊だ。だから、飛行場、キャンプ・シュワブ演習場(ヘリパッドを含む)、沖合(揚陸艦の着艦甲板)の3点を結んだ訓練が即可能だ。演習の密度が高まり、戦闘能力も強化されていくだろう。

(Ⅱ)松野官房長官の履歴と発言について

 松野博一官房長官について、私は岸田政権下で官房長官になるまで存じ上げない衆議院議員だった。そこで少々調べてみた。氏は1962年9月13日生まれ。今年60才を迎える。2000年初当選で、選挙区は千葉3区(千葉市緑区と市原市が選挙区)。自民党の細田派で、安倍政権下で文部科学大臣(16年8月から17年7月)を務めた。また、党運営でも2017年、党政務調査会会長代理、2018年、党総務会長代理などの要職に就いてきた。2021年10月の岸田政権下で官房長官、沖縄基地負担軽減担当に任命されている。
ということは、以下述べるような事情を十全に承知しているはずだ。それでも「新基地建設」と言ったのだ。これでは、「間違えました」で済むはずがない。彼が、多分に「新基地建設」だと認識しているからこそ、こう発言したのではないか。
 同氏は2月16日の記者会見でこう言い直している。「全く新しい基地を造るということではなく、キャンプ・シュワブを拡張するという意味で申し上げた」と説明し、政府見解に変更はない、と釈明して見せた。
 

 辺野古の予定地は、既設の海兵隊基地・演習場(キャンプ・シュワブ)と隣接し、飛行場を造るために現在のキャンプ・シュワブの一角の土地利用を大幅に変更し、何十件もの建て替えを伴う(現在進行中)。海兵隊の陸上戦闘部隊(第3海兵遠征軍第3海兵師団第4海兵連隊等)のシュワブと海兵隊航空基地(第3海兵遠征軍第1海兵航空団第36海兵航空群。司令部機能を含む)が隣り合わせとなり、揚陸艦の運用に、海軍の管理部隊も入ってくるだろう。
 こうした「拡張」の実態こそ、「新基地建設」と言わざるをえないのだ。たとえば、岩国基地(山口県)は、滑走路の沖合移設に併せて、大型船が入る岸壁を造り、大型船からオスプレイ等を運び込めるようにした。これは、主(飛行場)と従(港湾)の関係だといえよう。この辺野古の場合は、機能的に同格(主と主)であり、それによって、全体の運用が上記の通り大きく変わる。強襲揚陸艦「アメリカ」等はホワイトビーチ(うるま市勝連半島にある海軍基地)へ、こちらにはドック型揚陸艦が同時に着岸できる。出発準備も短縮されるだろう。なお、揚陸艦の母港は佐世保基地(長崎県)にある。
 こうした実態隠しのために「代替施設」だと小さく見せるのは、欺瞞そのものだ。

(Ⅲ)傍証と考察

①1996年12月SACO合意
 米・日政府は、「普天間基地返還のために『辺野古が唯一』」と断定し、辺野古は「代替施設」だと言い続けてきたことを再確認しておこう。本稿では、要約を示す。
その原点はSACO合意にある。SACOとは「沖縄に関する特別行動委員会」。SACO最終報告の冒頭にこうある。「両国政府は、沖縄県民の負担を軽減し、それにより日米同盟関係を強化するために、SACOのプロセスに着手した」と。ここに「負担軽減」に見せかけた不要な土地の返還(北部訓練場の過半等)による形式的な面積の減少と、実動能力の強化が図られてきたのだ。
 このSACO合意は様々な課題が取り上げられたが、普天間飛行場の取り扱いに関して、「最大限可能な限り、海上施設に移転する。海上施設の滑走路が短いために同施設では対応できない運用上の能力及び緊急事態対処計画の柔軟性(戦略空輸、後方支援、緊急代替飛行場機能及び緊急時中継機能等)は、他の施設によって十分に支援されなければならない」と釘が刺されている。これは戦時を想定した対処策が不可欠だと述べたものだ。

②2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」
 この合意はアフガン戦争、イラク戦争開戦後に行われた。対テロ戦争を米日政府・米日両軍の共同体勢を強化することが重視されている。また同時に中国を意識した米軍再編となっている。「Ⅲ 兵力態勢の再編」の項で「柔軟な危機対応のための地域における米海兵隊の再編」を打ち出し「海兵隊の緊急事態への対応能力の強化や、それらの能力のハワイ、グアム及び沖縄での再分配が含まれる」としている。「普天間飛行場の移設の加速」を打ち出しながら、「(沖縄県民が代替施設を県外に希望しているが)双方は、将来も必要であり続ける抑止力を維持しながらこれらの要望を満たす選択肢を検討した。(中略)双方は、米海兵隊兵力のプレゼンスが提供する緊急事態への迅速な対応能力は、双方が地域に維持する事を望む、決定的な重要な能力であると判断した」(下線、引用者)として航空・陸・後方支援及び司令部機能が相互に連携し合うことが必要だと認識したと米日首脳が再確認しているのだ。
 ここに「辺野古が唯一」の大きなくさびが打ち込まれたのだ。普天間基地の運用を海兵隊として、先に見たとおり、より一体的に展開できる場所であり、構造だからだ。このことから、米日の文字通り沖縄への「植民地的な処遇」を明瞭に読み取れると断じざるをえないのだ。沖縄の「負担軽減」を名目とした海兵隊のグアムなどへの再編を打ち出しながら、沖縄の普天間基地の移設に固執している。グアムへの分散配置は、中国を意識するならば、後方への展開であり、軍の論理に立てば、合理性があると言えるだろう。だが、米国ペンタゴンーハワイーグアムー沖縄という指揮・命令系統の中で、沖縄の米日軍は謂わば末端の戦闘部隊として位置づけられているのだ。ここに私は注目している。
 2005年10月の日米安全保障協議委員会(「2+2」)(註:国務大臣と国防大臣+外務大臣と防衛大臣)が沿岸湾でのL字型滑走路を合意し、2006年4月の日米安全保障協議委員会がV字型滑走路案への変更を合意したのだ。

③2006年5月の「再編の実施のための日米ロードマップ」と2009年、鳩山政権が投げかけたこと
 ロードマップ(行程表)は、このグアムに約8000名(家族9000名)を移転させるとして主に各司令部機能をグアムに移転し、その末端戦闘部隊を最前線となる沖縄に残し、キャンプ・コートニー、キャンプ・ハンセン、普天間飛行場、キャンプ・瑞慶覧及び牧港補給地区等からグアムに移転するとしており、この中に自衛隊の配備を私は感じ取り、発言を重ねてきた。
 2009年、民主党の鳩山政権が誕生した。彼は米軍のグアム移転の話も受けてだろうが、普天間基地の県外・国外移転を模索した。沖縄に寄り添う初めての首相になりかけたが、周辺の官僚や、自民党はもちろん、民主党内安保推進派によって、邪険に扱われ、志を貫けなかった。この経験を経て、以降の民主党を含む政権によって、「辺野古が唯一」「代替施設」とバリヤーを張り巡らせていったのだ。
 両政府は、2010年5月の「日米安全保障協議委員会」(「2+2」)の共同発表で改めて同趣旨の確認を行っている。
 こうした流れから、日米政府は「辺野古が唯一」「普天間代替施設」と固定化し、日米政府は「2+2」の度に、この再確認を今日まで行ってきたのだ。この流れを傍証する資料が「防衛白書―2020年版」に明瞭にまとめられている(「資料26:普天間飛行場代替施設に関する経緯」)。

(Ⅳ)まとめとして
 これまでの経過を概観してきたが、①「負担軽減」というまやかし、②米日共同軍事態勢の強化、③安保見直しへの排撃、④対中戦略の強化などが、この「辺野古が唯一」「代替施設」をうち固めてきたようだ。
 この背後に、米国の沖縄占領があり、今日まで米日共同でこれを支持してきたことが底流にあるのだと、私は考えている。
 私たちは、新基地建設阻止の闘いの中で、改めてこうした歴史を振り返り、対中戦略を強化し、敵基地攻撃能力を確立しようとする自公政治を打破していかない限り、沖縄・琉球諸島の未来は暗澹たるものになる。この松野官房長官の「新基地建設」という本音が、対中戦略につながっているからこそ、ここを叩くことは重要だと私は考えている。私たちは第2の沖縄戦、現代の沖縄戦を断じて許さない闘いを作り出していかなければならない。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。