ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

「倉敷ダムに不発弾725発」だそうです(20220218)

2022年02月18日 | 沖縄県の動き

 本日2022年2月18日の沖縄タイムス1面トップに「倉敷ダムに不発弾725発」とある。県は水道の取水を停止だと。米国製迫撃砲弾48発、同小銃てき弾(手榴弾のような爆発性の武器)7発、小銃弾668発など。ダムの管理所職員が定期調査で干上がった場所で発見したらしい。写真で見る限り、厳しくさび付いており、かなり古いものだろう。米軍がまとめて捨てたとしか考えられまい。

  倉敷ダムを知っている人は多くないだろう。嘉手納基地の北側に嘉手納弾薬庫地区が広がっているが、その一角だ。東南植物楽園がある北側に焼却場や廃棄物の処分場があるその北に位置している。あたりは焼却物や廃棄物の匂いだろうが、極めて環境は悪く(大気汚染と悪臭)、近づきがたい場所だ。東南側から入ればダムの堰堤に入れる。

 今回、銃弾が発見されたのは、倉敷ダムの西側。入り組んだ湖畔だが、カギ状に曲がった先端部のようだ。あたり一帯はもともと弾薬庫だった場所だ。ダムの巡回路がなく、こうした調査も十分に行えていなかったのだろう。それにしても呆れかえる。

 嘉手納弾薬庫が造られたのは1945年の米軍の占領に始まった。1972年5月15日9施設が統合され「嘉手納弾薬庫地区」として提供された。78年10月、嘉手納弾薬庫地区は陸軍管理から、空軍に移管され、一部が海兵隊の管理区域となっている。1978年端慶山ダム用地として約452000平米が返還された。1995年にさらに約753000平米が返還され、96年3月沖縄県企業局の手で倉敷ダムとして完成(沖縄県の資料からまとめた)。

https://www.pref.okinawa.jp/site/doboku/doboku-chubu/kurashiki.html

「沖縄の米軍基地」(沖縄県発行)

 今回の拾得物が廃棄された経緯は不明だが、米軍と、この国と、沖縄県、地元自治体(沖縄市とうるま市)のあいだで、複雑にされてきたのだろう。

 県民が安心して飲める水の確保は、命の営みにとって基本中の基本だ。これが米軍由来の原因で脅かされていることに、私は強い危機感を覚える。一事が万事、こういうことだからで、済ませるわけにはいかないのだ。県企業局、河川局に、徹底的な調査を求めたい。また、米軍に立ち入り許可を求めて、きちんとした調査を行い、残存の物を掘り起こして頂きたい。多分、こればかりではあるまい。

  そして大事なことは、こうした事案が発生したときの対処の道筋を国と米軍に求めていくことだ。その度その度にゴタゴタしている現状をかえない限り、繰り返されるだろう。

 

 

 

 



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