ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

一夜明け、ぼちぼち(20240817)

2024年08月17日 | ヤマヒデ企画
 おはようございます。2024年8月17日(土)曇
 昨夕、郵便局に物をもちこんだら、脅された。台風7号の影響で、どうなるか分かりません、と。本日、中部空港の発着便を後ほど確かめてみよう。沖縄近海にも熱帯低気圧が発生しており、ここ1,2日天気は悪いらしい。
 ともかく送った。送れた。間に合うかどうか、とても心配だったので、ほっとした。やはり、デジタルカメラに変えて初めての写真展準備だったから、事前に要領を検討する為に時間が掛った。現物のポジ画像を見比べながらやる作業のリアリティと比べ、枚数のレベルの違いも含めて、今一、ピンとこないのだ。
 だからだろうと思うが解説書みたいな凡庸な並びになってしまった。頭の整理が時間に追いつかず(整理しながらやっていたら間に合わず)、こうなってしまった。のちほど最終的な構成を整理して、公開します。
 特にA3のプリント用紙が沖縄に売っていない(全部取り寄せとなる)とは、知らなかった。一寸前まではあったのに。今回は、たまたま東京に出る予定があったので買ってきたが、これは迂闊だった。結果的に足りなくなり、最後の4章を削った。スマホが一般的になり、写真を撮る人が減っているのだろう。教訓とすべき事だ。
 私がスマホを使わないのは、使えないと思っているからだが、使う必要がないからだ。便利にその場で調べられる、発信できると言われても、重要なことは事前に調べておけば済むことだ。あとは動物的な勘で、どうにかなるものだ。発信も即だしたくはない。少しは時間の間を開け、冷静に考えたい。感情を先行させる器械はいらない。
 カメラは、構えました、撮りますという気がする。無造作に分け隔て無くやらないのだ。さらっと撮れてしまえば、ろくな誘惑にかられかねない。自分はやらないと決めているから、他人にも厳しく迫れる。
 ともかく送ったが、キャプションを書けていない。自然写真の24枚分を貼り付けただけだ。これから書いて、現地で貼り込む。キャプションを書くためには頭の整理ができなければ、不可能だ。今回の意義を極私的に言えば、この10数年の総括的整理だ。シマジマの軍事化を何故止められなかったのか? ここだ。
 先行研究に、軍事評論家の小西誠さんがいるが、余りにも層が薄い。各個撃破されて終わりにするわけにはいかないだろう。
 昔の大戦は、「神風が吹く」などの言い草で、侵略戦争に出張っていった。「天皇の国は神の国」なる幻影を民衆に植え付け、無茶な戦争に打って出た。バカすぎる。他人の迷惑顧みない、一方的なやりかただった。 戦後79年が経ったが、日本人は、ダマされたし、犯したと、ここを反省したことがあるのだろうか。殆どないだろう。
 他人の迷惑顧みないとは、自分の私利私欲だけと言うことだ。それを国家が音頭とってやったのだ。やはり個人と国家の違いは大きい。その違いは大きいが、個人が反省しないところに国家は、反省しないものだ。マスコミのていたらくが反映しており、民主主義とマスコミの関係が横たわっている。
 写真とは記録するための、自分が考えるための手段なのだ。考えない人間たちは、滅びていく。「神風が吹く」みたいな発想は、考えさせない典型例だ。「従属せよ!」だ。
 今回の写真展が、人々が考え始めることを刺激できたら、良しとしたい。少なくとも、私はこう考えてきたと示し得ていると思う。ただなかなか分かっていただけないのも現実だ。ジレンマ。
 



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