ここのところ、頭が回転せず、唸ることもできなかった。本日やっと、復調の方向へ、一歩前進。いつまでも停滞していられない。
ザッハ・リッヒとはドイツ語です。ドイツ語で、ほぼ皆が知っている言葉は、アルバイト。それはともかく、ザッハ・リッヒの訳語は「冷徹に」。しかしこの意味は「冷酷」ではありません。そうした悪くも良くもの感情を排すること。徹底的に客観的に、イデオロギーを排して考える態度です。私は大学時代の社会学、マックス・ウェーバー研究、ドイツ政治史を通じて学びました。いや学んだはずでした。あの頃半端にしか学ばなかったので(「講談社会科学」だと、批判して)、そのマイナスが回り巡っている。今じゃ、基本的な文献も残していない。
事実に即して学ぶこと、考えることができなければ、いかんともしがたい。楽観主義からも悲観主義からも何も生み出せない。これが今の沖縄の現状であり、日本の、世界の現状でしょう。それぞれ抱えている問題は異なるにせよ。
事実から学ぶことは、当然社会科学の基礎を掘り返すことが必要です。検証しながら、再構築していく歩みが重要です。私たち市民は学者のように文献を読んでいないし、読みこなせないけれど、ひとりの人間として考えることはできる。生(性も含むが)の営みの主体として、生きている者として存在を問うことがあらゆる問題の前提となります。私はそう考えています。
デストロイヤーとは英語です。さっきやってしまいまいました。フォークでケーキをぱくつこうとしたら折れた。力入れすぎ。力みすぎ。デストロイヤーと言えば、私たちの世代では、プロレスの選手に著名な方がいました。必殺技は「4の地固め」といっていました。
しかし今の私にとってのデストロイヤーはDD(駆逐艦)です。巡航ミサイルなどをぶっ放し、街を廃墟にしてしまう。この太平洋にはそうしたDDが何隻いるのだろうか。海上自衛隊は「護衛艦」だとごまかしていますが、機能的には駆逐艦にあたります。各国入り乱れて、一体何隻あるのか。破壊する能力しかないくせに、威張り散らしている戦闘艦隊。
デストロイヤーは「破壊者」ですから、海軍にとどまりません。破壊する力を「正義」だと豪語する米国にどこまで付き従うのか? この国は。私たち市民がザッハ・リッヒな検討をしていかなくはなりません。
社民党の福島瑞穂が今頃になって、「コモン」などと口走っている。私は、1965年頃から言ってきたこと。気づくの遅すぎる。古くは厚生経済学とか、色々ありますが、生命が生きるための公共財をどうしていくのか。経済成長の影で、投げ捨てられてきた考え方ですが、私たちはこれを如何に復権させることができるか。
私には社会民主主義がこうした考え方を復権できるとは到底考えることはできません。もっとグリーネンを考えて頂きたい。次元が違う考え方を、経済が破綻してきた中で、再結合できるのだろうか。貧困問題の解決は古くて新しい問題ですが、こうした物質的な貧困をこえる新たな世界へ。珊瑚礁の海を守ることは、別に辺野古・大浦湾の専売特許ではない。全地球的な問題です。どこにこうした位相の違うことを、解けるカギがあるのだろうか。
破壊することは簡単です。今日の軍事力をもってすれば、破壊することは、あっという間にできてしまう。地球は、生命は、おわってしまう。間に合うのかという焦りが、私の中に、常にありました。あり続けています。
生きることを諦めない力を育むためには、もっと協力的なありかたを避けて通れない。しかしお互いにあさっての方を向いている。襞の裏側まで考えないとダメでしょう。「希望のない旅」を脱しなければと思っているのですが、難しい…。
せめて、皆様方と議論できる機会をつくりたいと考えています。ご協力をお願い申し上げます。