人が生きることは、難しい。その人をとりまいている社会が、政治がどうかによるからだ。また、他の生物と異なり、本能によって生きることができないからだ。類(ルイ・ヒト)が命を保障してくれないのだ。支えてくれる人、支えている人が居て、生きていけるのだ。
人は、考えなければ、自滅する。様々な形で。今度の衆議院選挙を迎えて、私はこの思いを新たにしている。その話は改めて書きたい。ここで書くことは、彼らを笑いものにするためではない。「人は、考えなければ、自滅する」ことを象徴しているからだ。典型的な事例なので、わかりやすい。
琉球新報に出ていた記事だ。2021年9月19日午後。宜野座村潟原(かたばる)の海に、オープンカーのレンタカーで出たんだそうだ。干潟。50mも行くと動けなくなり、潮が満ちてきたと。警察に連絡したらしい。牽引していたら、突然車が炎上。けが人はいなかったらしい。若いカップルだったそうだ。
この海は、東西に広く、沖にも岩があったり、海辺は湾曲しており、変化がある。丁度海に降りる道も付いている。ヤッホーと、勢いで下りたのだろう。
普通、自動車で海に下りない。走れると思わない。これは「常識」だろう。マリンスポーツに自動車で走るは、ない。何が彼らをそうさせたのか、聞いてみなければわからない。そもそも砂地を走ることも危険だ。沈んで動けなくなる。私たちは辺野古の松田ぬ浜で、何台の車を押し出して救ったか。みんな、レンタカー。県外の人だった。
まして干潟。地面は濡れているのが見えなかったのか。近頃の若者は、潮干狩りもしたことがあるまい。人が歩けば、潜ることを知らなかったのだろう。未経験なことをする前に、どうなるか考えてみ。自分の体重は、例えば60kgとして両足で、250平方センチとして、240g/㎠だ。乗用車は何キロだ。1000kgぐらいある? タイヤ4本で接地点の面積は? 走行のためにつくられているタイヤだ。置き物の台ではない。
舗装された地面の堅さを「常識」としていると、ぬかるみの危うさをわからない。まして潮が上がってくれば、海の下の「路盤」の柔らかさを想像したこともなかったのだろう。
それと海水の怖さを知るべきだ。泳げる、泳げないではない。塩分を含んだ有機物が精密機械に付着すると金属は錆びるばかりじゃないのだ。甚だしい劣化をもたらす。こびりついて、これを除去することは極めて大変だ。私は痛い目に遭っている。
次元が違うが、所有物でないもので、無理してはいけない。より慎重に走るのは当たり前だろう。道路上ならば、自動車保険が適用されるだろうが、本件は完全にアウト。1000万ぐらい(外車というがいくらかね?)の損害賠償が請求されるだろう。
海(干潟)は生物のすみかなのだ。そんなもので、生きものたちを踏み潰さないで。因みに、潟原の海に下りる道は、米国海兵隊の水陸両用装甲車の演習ルートだ。因みに水陸両用装甲車は、タイヤではない。キャタピラだ。これで地面を動き、踏み潰す。
無知であるということは恐い物知らずだということだろう。自分が立っているところを知れ! 本件は極端だが、50歩100歩のことは、たくさんあるのではないか。これを、笑いものにするか、教訓にするかは、あなた次第だ。