ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

沖縄に対する関心と、原稿が書けないこと(20210525)

2021年05月25日 | 考え直すために

 昨日から書かなければならぬ原稿を抱えて、四苦八苦。一歩も前に進まない。当初4月15日締め切りと言われて、当日に書きあげたのに、実は5月15日、いや、5月末でしたとなり、お蔵入り。他に同じテーマで書いたし、さて困っています。書くべきことは色々あるのだが、沖縄との距離が大きい方々に、そこを埋める視点を踏まえないと、私は書く気にならないわけです。この視点をどうするかで、悩み続けている。

 確かに日頃沖縄と向き合っていなければ、ピンとこないのは分かります。しかし情報量が少ないから分からないという話じゃない。問題意識が乏しいからです。これがあれば、いくらでも探せますし、考える事はできるはず。

 また、自分の恥をさらしますが、70年代初頭のベトナム反戦・反安保運動の時、加害と被害の問題が出されながら、尻すぼみになった。日本のベトナム戦争への加害は、間接侵略でした。軍隊を出さないで、行かないで済みましたから。しかし日本も経済的に南ベトナム政府を支え、米国の攻撃に基地の提供を通して強力に支えていたのです。その中軸が未だ返還前の沖縄でした。返還前の沖縄を基礎とした安保体制でした。

 しかし当時の私たちは、鈍かった。大日本帝国の加害と被害を捉えきれず、結果として戦後の潜り方が、ペケだったのです。米日の戦後処理の中で、沖縄が消えた・獲られた歴史を総括できていなかったから、こうした構造を曖昧にしてしまったのです。

 この意味で、日本国憲法を楯にする論(護憲派)も、そこを乗り越える論(新左翼)も、向いてる方向が逆でも、ダメでした。だから沖縄への関心はあっというまに消えていったのです。

 今同じ二の舞をしてほしくないのです。この先はその原稿に譲りますが、構造的差別と言われるような問題をしっかりともっていないと、沖縄問題は色々ある問題のひとつとされてしまいます。米国の属国である日本という国が縛り付けている問題だと見えてこないのです。

 私が生きるために考えるんだという覚悟が問われています。「覚悟」というとキツいですね。「気持ち」と言えば軽すぎるし。「生き方」です。併せて言えば、こうした生き方を支え合あるコミュニケーションです。これが難しいことは多言を要しませんね。

 コロナ禍で現場に行けない今だからこそ、考えるべき事なんです。行けないと緊張は緩むのでしょうが、そこを律するしかありません。宜しくお願い致します。

 ということで、夕方になっちゃいます。ヤバイヤバイ。 



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