2021年10月30日(土)晴れ
明日は衆議院選挙の投票日。
今日の私は沖縄市内を歩いた。カメラをザックにしまったまま。27日の怪我がまだ治らない。荷が重いと痛むのだ。ところが、
これを見た途端、私は撮るかと支度を始めた。バックの緑との兼ね合いで、冴える。残照で黄色味を帯びている。
もとはこう。
よしっと。私、撮る人が、何に気づき,変えるのか? 撮ることは模写じゃない。ありのまま撮ってもおもしろくない。そこに自分を写しこむ。自由なのだ。しかし被写体にも自由があるはずだ。ちぎって撮ることは、いかがなものか。撮る人の責任が生じてくる。
選挙はどうだろう。1票を投じる行為で完結しない。集積されることで結果をだす。新たな変化を生み出せるのか、せめて芽を出せるのか、潰されるのか。今回は投票以前に、市民と野党の共闘が成立した。ここに変化の兆しを埋め込めたのではないか。
確かに投票一発で変わるわけがない。棄権したら、何も変わらない。自分が踏み出せず、怠惰のままだ。投票には1票という意味と、考え始めるという意味の2つがある。明日・未来を見据えた行為なのだ。私たちが生きるための政治になっているか、真逆なままか。
生きている自分を支える政治、生きたいと思える政治に転換できないのか。きっとできる。だから私は、投票に行こうと呼びかけたい。主権者はわたしたち、だからね。この大事な一点を忘れてはいけない。