本日は2024年11月21日(水)曇り
もうバタバタ。
昨日20日は7時出発、20時帰宅の13時間労働。バスでの移動時間が計6時間余り。成果はあったものの、クタクタになった。途中、宮城島から土砂搬出が始まったとの情報が入ったり、どないしてくれるねん。
註:新基地建設のための大浦湾埋め立ての土砂。
ようやく買い物して帰宅したら、買った一部があふれ出てしまったり。もう、だめだ。
しかし、私が一番頭が痛くなることは人間の業。考えると言うことは常に根拠を問うことだ。これがなければ、いけません。信じるものは救われないのだ。思い込むものは救われない。
昔、ガリレオ・ガリレイは「それでも地球が回っている」と主張し、宗教界の怒りを買ったが、彼は筋を通した。近代科学には様々な誤りがあるものの、地球の自転説は人類史を見つめ直し、今でも価値が高いだろう。結果的に宗教界の誤謬を改めるに至ったはずだ。
もっとも地球の自転説が人類に宇宙を描き出す糸口を与えたことが、結果的に宇宙戦争に至っており、どうしょうもない面がある。だから「人類」などという大文字を、御法度にしたいと私は考えている。科学者ガリレイの発見・解明から、宇宙戦争構想まで、大文字「人類」を主語にすることによって、ロマンをかき立てながら、宇宙戦争を美化して(ごまかして)きたのではないか。
SFものの戦争ばなしならばともかく、現代戦は海底から宇宙までを視野に入れて準備が進んでいる。情けない話だ。個から考えない限り、何も解けないのが、ホモ・サピエンス(ヒト)の実態だ。個=類を失ったことが、決定的な限界をもたらしたのだ。個=類でないからこそ、人間は、「何者」かに大文字を付与したくなるのだ。「人類」しかり「神様」しかり。「王様」しかり「天皇」しかり。総じてくだらない、権力者による支配のための言説だ。
個を育みながら、対話したり、懇談したり、もっとひろく議論したいと私は考えているが、こうした方向も様々な妨害が入り、なかなかうまくいかない。戦争は、私たちのこうした間隙を突きながら広がっている。
今や沖縄を救うことは人々を救うことにつながっているはずだ。むろん、双方向から考えるべきことだ。また、パレスチナを救い、ユダヤ教もイスラム教も超えた新たな地平を生み出されることが期待されているはずだ。一つの矛盾は様々な矛盾と隣接し、つつき合い、ごちゃごちゃになっている。複雑系に抱き込まれている。だから私は、民族主義を克服すべき対象だと考える。
沖縄の「勝つ方法は、諦めないことだ」という考えを、こうした流れの中で私は育んできたと考えている。