2020年5月18日 (月) 朝から雨が強く降っている。今朝は無事に新聞が届いていた。本日の社説(沖縄タイムス)は「『慰霊の日』式典縮小ー体験継承の工夫今こそ」。誠にもっともだ。
書き出しはこう。「『4・28』から『5・15』そして『6・23』と沖縄にとって忘れてはならない日が続く。」(中略)「地方自治法の改正で89年に(「慰霊の日」の)休日廃止の動きが出た際、存続に向けて大きな力となったのが県民世論である。(6月23日は)戦争の記憶を継承して不戦を誓う日だと声をあげたのだ。(中略)沖縄の戦後は、戦死者の遺骨収集から始まった。/野ざらしになった遺骨を納めるため、戦争が終った翌年に建立されたのが糸満市米須の『魂魄の塔』。いつもの慰霊の日なら、一日中、香煙が絶えることがない。(中略)玉城知事には追悼式の前に「沖縄の慰霊塔」ともいえる魂魄の塔を訪れ、県民代表として手を合わせて欲しい。/沖縄戦は『過ぎ去った過去』のことではなく、『今に繋がる過去』であり、『未来を照らす過去』である。/沖縄戦の記憶が沖縄社会から忘れられていけば、沖縄はもはや沖縄でなくなる。当事者が高齢化していく中、壮絶な体験や平和への思いを聞く機会は急激に減っている。だからこそ逆に重要性は増す。/(沖縄平和祈念)資料館がもつ証言ビデオやオンラインで体験者と語り合うなど新たな方策を模索すべきだ。/コロナ禍にあって記憶を引き継ぐ意味を再確認したい。」 (注:「」内の( )は引用者の補注)
しみじみと同感する。私に何ができるのだろう。
大城弘明さんの写真集「地図にない村」を開いてみた。1965年から2010年にかけての撮影だ。70年から72年の撮影が多い。彼は1950年生まれであり、私とほぼ同世代。
私自身が見直すべきものが無数にある。
「沖縄戦の記憶が沖縄社会から忘れられていけば、沖縄はもはや沖縄でなくなる」。 噛みしめて生きていきたい。《沖縄を沖縄でなくしていく動き》を敏感にキャッチしていく視点をもっていきたい。
街頭での沖縄県議選が始まる。あれもこれも繋がっているのだ。