2023年10月4日(水)晴れ 呉から江田島へ渡る。
呉に着き、ランチを食べて(ここで4日、5日とランチを頂きました)江田島に渡る。8年ぶりだ。
呉のフェリーターミナルから江田島の小用(こよう)港まで約6km、西だ。
私は小用港に下り、船を見送る。
この小さなフェリーだった。外観が美しい。12:41
ランプウエイがあがる。船員さんが乗っている。12:43
慣れたもので、船員さんは、甲板に入る。12:43
スクリューが回り、動き出す。12:43
こうしたタイミングを撮るのは私にお任せください。
小用から目指すは海上自衛隊第一術科学校だ。約2km西へ。
着いた。海上自衛隊幹部候補生学校、第1術科学校とある。13:26
それって何だよね。幹部候補生とは、の前に幹部とは? 要するに将校(初級幹部ー3尉)のこと。ここを卒業できると「3尉」(少尉)に格付けされる。尚、1972年から米軍将校が派遣されているそうだ。教育課程から米軍式を身につけるのだろうか。
第1術科学校とは、海上自衛隊員としての技術等を学ぶ学校だが、第1から第4まである。第1は射撃、魚雷、潜水等、第2術科学校は機関、電気、応急等、第3は航空関係、第4が経理、補給、給養とある(第1術科学校HP)。
第1術科学校では、教育第1部は砲術、水雷、船務、統率、航空用兵科からなり、教育第2部は航海、気象海洋、通信、電子、体育科からなり、教育第3部は掃海機雷、運用(作戦)、応急、潜水、警備、教育技術科からなっている(以上第1術科学校HP)。多岐に亘る。なお「学生隊」という組織(一般の大学では学生部)があり、こちらは隊であるところが、軍隊らしい。学生の行動・思想・信条等の規律を正す組織だろう。
ゲート入り口に。
この張り紙は、一般来訪者への見学の受付だ。13:27
入場制限がある。タンクトップ、ノースリーブ、キャミソール、ダメと。短パン(大人)、極端に短いスカート、などダメだと。教育参考館は、海上自衛官の心の「教育の場」及び海軍戦没者の「慰霊の場」であるからだそうだ。実際のマルかバツかの規定がどうだか分からないが、興味深い。
南に向かう。
狭い通路を行く。学校側にばっちりとした目隠しの塀があり、中を見ることはできない。13:30
歩道橋の上も。13:31
何を隠したいのか? 学校の中に隠される機密とは何だろう? これまた興味深い。
左が術科学校。塀がつづく。13:34
ここも塀。隠したい物が満ちあふれているのか? 13:38
学生生活も秘密の中で強いられているのだろう。
プールが見える。13:39
皆さん、ダイビングスーツを着ている。タンクも担いでいる。海上自衛隊員にとって泳ぐ・潜るは基本だろうが、厳しいのだろう。
この先で私は暑さにめげた。敷地の南限から引き返す。
13:39 プールに人が居ない。休憩のようだ。
江田島神社に上がってみた。13:58
「ご即位記念植樹」だそうだ。徳仁天皇の即位記念だ。海軍兵学校(1888年海軍兵学校は江田島に移転)からの歴史と神社だから、不思議ではない。天皇と神社と軍隊は、未だに繋がっているのだ。危うい物を感じる。
神社の階段を下る。14:00
練習再開していた。タンクを下ろしており、シュノーケリングだ。両側から飛び込むようだ。14:07
手前が飛び込んだ。14:08
教官が指図している。
奥が飛んだ!14:08
なかなかの水しぶきだ。14:08
私は暑いが、2度は失敗しないよ。
正面ゲート前近くに戻り、態勢を整える。暑いのだ。アイスを食べて北へ向かう。
こちらは道が狭い。
私は目が点になる。旭日旗のちょうちんだ。14:54
海軍の町の面目躍如。14:55
秋祭りに向けたお飾りか知らんが、軍艦マーチがなり出してきそうだ。
坂を下る。左が術科学校。15:14
海側からLCAC(エアークッション型揚陸艇)の轟音が聞こえてきた。先ほどは「おおすみ型揚陸艦」は呉港に居なかったが、戻ってきたようだ。LCACの操行は江田島湾でやっているのか?!
学校の港のようだ。15:18
ヨットから下りるようだ。15:19
対岸から戻ってくるヨット。15:22
こちらは練習船から下りてきた隊員(学生)。15:22
ヨットがまた戻ってきた。15:23
フェンスの道を振り向く私。15:31
今日は、細かい絵だが、収穫があった。術科学校の一断面だろう。
ヨット隊が引き上げるようだ。15:34
私は小用港に戻る。予定の船に間に合わなかった。
小用港に着いた。17:08 これか?
どれだ。17:10
まずは無事に呉の宿に入れた。