昨日は5月3日で憲法記念日。この問題を書きたいと思っていたが、まとまらなかった。書こうと思えばいくらでもあるが、ありすぎる。夜に社民党のネット配信(「憲法を活かす」)を見た。山城博治と三上智恵のお二人の対談も見た。この二人らしい対談だった。
私がこだわっているのは、沖縄と「日本国憲法」の問題だ。私たち「在沖日本人」は、ここを明らかにする、関わりを踏まえながら考えなければ意味がない。日本国憲法が施行されたのが1947年5月3日。未だ占領下でのこと。むろん沖縄は米国の統治下。沖縄にはこの日本国憲法は1972年5月15日まで施行されていない。
沖縄が軍事化されたことによって、日本国は1952年4月28日独立したが、日米安保条約と地位協定(当時は行政協定)が憲法の上に立つ状況が今日でも続いている。憲法の縛りは、じりじりと解かされてきたのだ。日本の民衆があっけらかんとしていたのだ。これは、闘わなかったという意味では必ずしもない。絶対主義的天皇制のもとでの侵略戦争の問題を回避し、歴史を遡って考えてこなかったのだ。このツケが回っているのだ。これは日本と台湾・朝鮮・中国などばかりでなく、沖縄との関係もだ。
沖縄差別の罪悪は、相当に深いものがある。沖縄に基地を押しつけ、沖縄が望んでいた日本国憲法のある日本国への復帰のはるか以前に、安保が上位の判決が最高裁で確定(1959年12月16日砂川事件の最高裁判決)している。これも、日本国が沖縄に押しつけ続けているのだ。こうしたことへの無知は、恥の上塗りであり、沖縄差別に通底しているのだ。
昨日の社民党のネット配信で福島瑞穂党首は、日本政府が核安保体制を肯定していることにいささかの驚きを示していた。逆に、このことに私は驚きを禁じ得なかった。日本政府が米国の核の傘にあること、つまり核戦争を想定下におく軍事巨大国である米国との同盟国であり、着々とその体制を強めている事は承知しているはずだ。
例えば2005年10月の「日米同盟:未来のための変革」(2+2)の「Ⅱ.役割・任務・能力」にも「米国は、日本の安全のため、及び、周辺事態を抑止し、これに対応するため、前方展開兵力を維持し、必要に応じて兵力を増強する」とあり、さらに「米国の打撃力及び米国によって提供される核抑止力(引用者註:核攻撃力)は、日本の防衛を確保する上で、引き続き日本の防衛力を補完する不可欠なものであり、地域の平和と安全に寄与する」と両国首脳は交わしているのだ。
日本国は米日核安保体制のど真ん中にいるのだ。だから日本政府は核兵器禁止条約に反対しているのだ。こうしたことが「被爆国日本」の実体であり、72年以前は、米国・米軍は核兵器を沖縄等に置いていたのだ。
こうした抜け穴だらけな日本国憲法は、素晴らしいなどと、どうして言えるのか? 私には全く理解できない。
しかし私たちの世代が、ベトナム戦争に送られなかったのは、間違いなくこの日本国憲法があったからだろう。ここは確認できる。海外派兵は禁じられていたし、憲法9条は「日本国内」では有効だったのだ。
安倍政権は2014年の閣議決定で、「集団的自衛権」を合憲だと大幅に解釈を変えた。こうして安全保障法制をつくりだし、「日本と密接な他国」が攻撃を受けたら、日本国は攻撃できることにしたのだ。ここに文言上の限定はついているが、先に見た「周辺事態」(現行法では「重要影響事態」)、つまり海外での戦争に、米軍の在沖米軍などの「前方展開能力」などとともに作戦に参加する事が可能とされてしまっている。そして「島嶼防衛」に備える軍事態勢を強化しているのだ。
沖縄と「日本国」との闇は益々深まっている。私たちはこの暗闇の中で、何処を向いて生きていくのか? 昨日の山城博治も苦悩していた。うるま市長選でこの沖縄の軍事化について争点にできなかったことを悔やんでいた。私は2月に行ったうるま市の有志の学習会でこの件について語ってきたが、矢張り争点にできなかったのだ。沖縄で市民自治を考え実践するとき、軍事化を問題にしないあり方は根本的に間違っている。これは、基地・軍事問題は市民の目の前の問題だからであり、沖縄の現在と未来にもろに関わる問題だからだ。
未だ中途半端だが、出かける時間が来た。