ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【良かったら、拡散してください】夕日を撮り、明日に期す(20241217)

2024年12月17日 | 沖縄暮らし

おはようございます。2024年12月17日(火)晴れ

 昨日はブルービーチに出かけ、アウト。そして沖縄電力の金武(きん)発電所脇まで歩いた。あるブツを観るためだ。天気は曇っており、空はさえなかった。18時45分帰宅。

 今朝の沖縄タイムス投書欄に「絶景 残波からのサンセット」がでている。その冒頭にマニラ湾の夕日のことが紹介されている。ここマニラ湾の夕日を私は、1986年1月に行っており、撮っている。この時のツァーは、アキノ政権に対する民衆運動との連帯の旅。そのとき、フィリピンの旅の先輩から、このマニラ湾の夕日は素晴らしいぞときかされていた。確かにバッチリ絵になった。見慣れぬ熱帯の浜辺の夕日という異国情緒を感じたからだろう。中景に恋人たちを入れて撮ったものが、このときの私のベストショットだった。

 ところで投書氏は、読谷村残波(ざんぱ)岬のサンセットをあげている。確かにあそこは絶景だろう。東中国海に沈む太陽。慶良間(けらま)諸島を遠景として冴えるだろう。残念ながら私は、サンセットに合わせて行ったことがない。今度泊まりで行ってみたい。あの辺ならば、基地巡りと合わせたコース設定は、悲しいかな、容易にできる。

 実は私のこれまでの人生の中で、ベストサンセットは、知床半島、ウトロのプユニ岬だった。時は1990年代の2月、流氷を撮りに行ったときの一幕。ウトロ温泉から雪道を歩いて、1時間余り。ここに2度行っている。夕日はオホーツク海に沈む。最高というのは、辺り一面が雪景色だからだ。そこに流氷が流れ着いており、太陽は氷と雪に反射して、凄いことになっている。

 ただし行きはヨイヨイ、帰りは怖い。日が沈むと真っ暗になるのは当然だが、急に気温が下がり、足下が凍り付く。一度目の時は苦労して宿に帰り着いた。2度目はスペシャルラッキーだった。丁度日が沈む前に通りかかったデンマークから来たカップルに、お声をかけた。このベストサンセットを見て行きなさいと。お二人も感動されていた。デンマークも雪国だが、また違う光景があったのだろう。そんなわけで彼等が私をレンタカーで私の宿の近くまで送ってくださった。このご恩は一生忘れまい。温泉が温かかった。

 もう体力的に真冬のアイヌモシリに行くことは、不可能だろう。しかし私は凍り付く中で見た美を忘れまい。日頃撮っている名護湾のサンセットもなかなかのものだ。本部半島と恩納岳に挟まれた名護湾。静かな波間に沈むティーダ(太陽)。ここの魅力は時々の雲のありかたが、形を変え、色味を変えてくれる。太陽と海(波)と雲の3大要素が彩りをなしている。

 マニラ湾のように恋人たちを配するような砂浜の広がりに欠けているが、軍事的な事象さえ混ざらなければ、素晴らしい。一人一人が自慢のサンセット、サンライズを楽しみながら生きていきたいものだ。

 夕日を撮り、明日に期す場所としての名護湾は、辺野古・大浦湾の反対側にある。新基地建設に犯されている辺野古・大浦湾を私たちは、見殺しにしてはなるまい。



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