おはようございます。昨夜は、県庁前から帰ってきて、カメラの片付けもシャワーも浴びずに寝てしまいました。1日~6日までの6日間に5日通いました。やるときは可能な限り徹底してやりたい。
滞在時間は、それぞれ2時間から昨日は7時間の比較的短時間でしたが、現場に立ち会えたのは何よりでした。具志堅隆松さんは最後まで淡々としていた。この揺るがぬ意思は39年間、ガマフヤーとしてあちこちの現場で、遺骨収集に当たり、遺族にお返しする取り組みを続けてきたからのものでしょう。埋もれていた遺骨と出会ったら、「命どぅ宝」と思うでしょう。
私はガマに入って遺骨を見たり、遺品をみたりしてはきましたが、余り深入りしてきませんでした。立場性と性格がそうさせてきたのだろうと思います。今回一番キツかったのは、沖縄戦って、「日本」が沖縄に強いたことだということです。あれから76年が経ちながら、埋もれた遺骨がどれだけあるのか、わからないのです。業者が言うように地下深く掘るのだから、そこに遺骨は含まれていないなどとはいえません。魂魄の塔脇の「熊野鉱山」も傾斜地です。実際に具志堅さんたちが昨年10月まで収集していた場所です。骨は崩れて表層部だけにあるものではないでしょう。ガマの土砂って一律に締まっていないのです。
日本が沖縄に強いていることは、この76年間積み重なってきています。地上戦を強いた土地・人々に基地を押しつけ続けているのです。そうでありながら沖縄からの声をまっすぐに聞き取らない態度は治っていませんよね。政治もマスコミも総じてどうしょうもない。絶望しか感じ取れません。
淡々とハンストを続けた具志堅さんや宗教者の皆さんをみて、撮っていた私は、絶望している場合じゃないこともよーく分かっています。
こうなることも予想しながら、3月20日のスライド&トーク「沖縄は戦場だったし、今でも戦場に繋がっている」を準備しています。昨日このチラシを何人かの方々に配布したところ、「行きます」との心強いお声をかけて戴きました。このハンストは文字通り沖縄は戦場だったし、今でも戦場に繋がっていることを改めて示してくれたのです。
これを機会に、私も更に一歩深入りし、不戦の沖縄を目指したいと思います。私なりにやれることを見いだしていきます。