これまでにどれだけ、「安倍は止めろ!」のコールを聞かされたのか。予想通り、本日2020年8月28日、安倍自身が辞職を表明した。ごまかし、ウソ、隠蔽で、他人の頭や心を騙せても、身体の変調を装い騙すことはできないのだ。もともと安倍晋三にそんな役者魂はないが。これが冷厳な事実なのだ。
安倍が辞める。それで何が変わるんだい? 変わるのは独裁者の仮面が変わるだけ。別の奴が独裁者の仮面を被るだけ。おもしろくもおかしくもない。
それよりも注意すべきはこのどさくさに、野党の再編が進むということ。立憲民主党に国民民主党が割れながらくっつき、原発の延命工作が野党からも始まるだろう。こんな多数派工作をやって何の意味があるのか? むろん核安保体制も安泰であり、沖縄への軍事拠点の集中は変わるまい。米日地位協定もそのままになる。無駄でしかない武器の爆買いや、自然を壊す基地建設が漫然と進められていくだろう。自公政治が続く限り、誰が自民党のトップについたところで同じだ。
これを下から支える意味しか無い野党はいらない。そもそもどうして「安倍政治」といわれる独裁体制ができあがったのか? ここから問題にしなければならないのだ。詳しいことは省くが、中曽根政権の「戦後政治の総決算」に始まる軍拡と統治機構の強化、行政改革の嵐から始まった。総評労働運動が解体され、社会党が社民党に変質した。微力なりといえども対抗勢力が消されてしまったのだ。これが80年代末のこと。さらに連立政権の時代が訪れ、あれよあれよというまに選挙制度の改革が「政治改革」の大合唱の中で強行されたのが1994年。ここから経済不況のドサクサの中で新自由主義を具体的に進ませたのが2000年代の小泉政権であり、自民党の、自公の独裁態勢が一気に進む。財界への塊が強まり、右翼との結合が進んだ。安倍政権のことについては、省くが、こうした経緯を踏まえなければ、私たちの未来を語ることはできまい。
因に沖縄の民衆運動が再生するのは、95年9月4日の少女レイプ事件の衝撃からだ。闘っても闘っても前に進めないが、闘わなければ潰されていくばかりだ。これが沖縄だ。勝つ方法は諦めないことなのだ。
それでは安倍が辞めた後、どうするのか、早急に対応を考えなければならない。解散総選挙も年内にあるだろう。あちらはドサクサの中で態勢の巻き返しを図ってくることは間違いない。安倍が辞めたで油断していたら、どえらいことになるだろう。「命どぅ宝」を合い言葉に共に闘い抜きたい。
ひとまず、こんなところだ。