昨日、私も、石垣市民による住民投票請求運動への那覇地裁判決が行われると聞いていた。結果は門前払いの判決だった。ある意味分かりやすい門前払いだ。しかしこの奥に潜む判決によって隠されてしまった影は、かなり深い重要な論点が隠されているのではなかろうか。私は資料をもっていないので、十分なことは分からないが、私なりに考えたい。
先ずこの裁判は、石垣市の住民投票運動を起こした有志が提訴したものだ。石垣島の中心部である平得・大俣地区に陸上自衛隊のミサイル基地が造られようとしている事に対して、住民投票の請求を地方自治法第74条に基づき提起した。これで有権者の約4割に当たる署名を集めて住民投票条例の制定を求めた。
これに対して、中山義隆市長は陸自配備推進派であり、「国防・安全保障は国の専権事項」としてこの住民投票条例に反対の立場を明確にしてきた。また、石垣市議会は保守色が強く与党が多数派。
こうして石垣市民の意思と努力は水泡に帰したかにみえた。この国は一昨年から基地建設に着手してきた。石垣市民は諦めず、石垣市自治基本条例を活用しながら、2019年9月に那覇地裁に提訴したのだ。
今回の裁判は、行政事件訴訟法の第3条抗告訴訟に当たる。この「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」の「6:義務づけの訴え」だ。「行政庁が一定の処分をすべきであるにもかかわらずこれがされないとき」にあたり、石垣市が住民投票条例に対応しないことを住民が石垣市自治基本条例に基づき「やるべし」と求めたわけだ。
しかしこの地裁判決は、地方自治法に基づく審議が行われ、議会で否決されており、石垣市自治基本条例による住民投票の実施は「行政処分に当たらない」から、判断に及ばないとしたものだ。地方自治法の決まりと石垣市自治基本条例の間隙の中で、地裁は石垣市の条例に基づくだけでは行政処分に当たらないと入り口で却下したのだ。
では石垣市自治基本条例とはいかなるものか? これを再確認しておこう。全部で17章43条からなっている。第1条目的に「この条例は、石垣市における自治の基本理念と基本原則を明らかにし、市民の権利及び責務、市議会及び市長その他執行機関の責務並びに市政運営の原則を定めることにより相互に理解し合い、共に手を携えて豊かな地域社会を築くことを目的とする」と総括的な目的を示している。基本原則に①情報共有の原則、②参加の原則、③協働の原則、④多様性尊重の原則を掲げている。自治を民主的に推進するための大前提が掲げられていると私は考える。第3章市民の役割、第4章事業者の役割、第5章市議会の役割が規定されている。第6章は市の執行機関の役割であり、第11条市長の責務に「市長は、この条例を遵守し、市民の信託に応え、公正、公平かつ誠実に職務の遂行に務め、市民主体の自治の実現を図らなければならない。2 市長は、市民の意向を適正に判断し、市政の課題に対処したまちづくりを推進しなければならない。3 市長は、市政の総合的かつ計画的な将来像を示し、その実現に向け、全力を挙げて取り組まなければならない。4 市長は、職員を指揮監督すると共に、効率的な市政運営に務めなければならない」としている。
第7章の市政運営の第16条に「情報の公開及び共有」、第17条に「個人情報の保護」、第18条に「説明責任」、第21条に「行政手続き」があり「執行機関は、行政運営における公正の確保と透明性(行政上の意思決定について、その内容及び過程が市民にとって明らかであることをいう)の向上を図り、市民の権利利益の保護に務めなければならない」と定めている。
何れも民主的な市政運営に当たって当然踏まえられるべき事だが、無視されがちなことばかりだ。
次の第8章「参画及び協働」がこの裁判に直接に関わっている。〈住民投票〉が第27条にあり、〈住民投票の請求及び発議〉が第28条で、1項:市民、2項:議員、3項:市長の規定があり、「4 市長は、第1項の規定による請求があったときは、所定の手続きを経て、住民投票を実施しなければならない」とあるのだ(石垣市自治基本条例は2010年4月施行)。
ということは、中山市長は、先の住民投票条例案が市民から適正な手続きを経て請求されたとき、この条例を踏まえれば、当然、基地建設を巡る住民投票をやるしかなかったのだ。彼はこれをネグったのだ。
今回の1審判決は、「行政処分」にあたらないと却下したが、そもそも中山市長のやり方がおかしいのだ。これを追認した判決となっている。
中山市長は「国防・安全保障は国の専権事項」とし、これに住民や市政が関与すべき事では無いと公言している。しかし過去の戦争を考えれば、どうだったのか。国家・国家・国家と住民は飲み込まれ、住民はマラリヤ多発地帯においやられていったのではなかったのか。住民福祉と自治の対局に戦争は起きるのだ。
自衛隊基地予定地周辺は優良な農耕地帯であり、カンムリワシの生息地であり、農業用水と水道水のダムがあり、於茂登岳と周辺の山域を含めて観光地でもある。どうして、国の専権事項だからと、市民、市政は、知らぬ・存ぜぬ・おかまいなく、などといえるのか。このど真ん中に中国と事を構えるミサイル部隊を置く計画が現在進行形であり、宇宙軍や敵基地攻撃能力が準備されてもいる今日この頃なのだ。
自治なんて、しみったれており、意味ない、関係ないと思っている人も多いのかもしれない。しかしこの国では、自治が法規範として定められたのは、日本国憲法に定められたのが、初めてのことだ。以前は自治の自の字も無く、全ては国のもの、国のためだった。だから自分も無かったのだ。奪われていたのだ。郷土も天皇に捧げる「郷土」に変容されていったのだ。
日本国憲法にある「地方自治」は、如何にも半端である。それでもこれができたことで、首長が様々な判断に意見することができるようになったのだ。「お国のものだ、へへー」と跪かなくて良くなったのだ。
石垣市から上がった石垣市自治基本条例に基づく政府・石垣市長への対抗運動は、日本国憲法に支えられながら、これを凌駕している。日本国憲法を奪われてきた沖縄だから、独自に考えることもあるに違いない。いやなければ困る。この石垣島から起こされた裁判は、改めて私たちが考えるべき事を突き出しているのではないか。私も石垣市民の皆さんから学びながら、共に前を向きたい。