ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

20年前、今週、若者との議論のために(20230320)

2023年03月20日 | 考え直すために

 おはようございます。本日は2023年3月20日。(月)名護の西海岸は曇っています。人生を長く生きてくると、毎日のように何らかの記念日となっていますが、本日は米国がイラク爆撃(戦争)を始めた日。忘れもしない。

 私は朝から米国大使館前(周辺)でダイ・インする人たちを必死で撮っておりました。機動隊がダイ・インをやめさせようと排除にかかり、一時騒然としました。当時の日米権力は、市民が米国大使館に近づくこと、要請することを禁じだしました。はるか遠くの場所に封じ込めるようになったのです。今思えば、わかりますが、無理・無理なイラク戦争を正当化できないものだから、余計に防衛的になったのでしょう。感慨深いこの20年。

 あのイラク戦争は、米国がイラクを大量破壊兵器(核爆弾)を有しているとの嫌疑を一方的にし掛け、爆撃・侵攻に至りました。国際法の初歩を守らぬ米国であり、それを支持したこの国の愚かさ。未だに反省していない連中がこの国の政権を取リ続けている。この国が嘘と脅しと暴力の権化になり出したのは、この時代からでしょう。

 そして翌年の2004年、沖縄でも大きな動きが始まりました。2004年8月13日、海兵隊のCH-53が沖縄国際大に墜落・炎上。9月から辺野古では埋め立て作業の手始めにあたるボーリング調査が始まり、阻止行動が取り組まれました。あれから19年が経つのです。

 そして19年、20年というのは、人間が子どもから大人になる転換期を迎える時間でもあります。今の若者たちは、社会や政治と殆ど向き合うことなく過ごしているでしょう。突き当たるものと向き合うよりも、「新自由主義」ー徹底的な格差拡大と、社会が崩落していく中で、己自身が翻弄されてきたことでしょう。

 そう思えば私の世代は、はるかに幸せだったのでしょう。1951年生まれの私は1968年前後から自然保護運動に邁進し、そして70年から学生運動や、反戦運動に邁進できた。もっとも今思えば、「反(アンチズム)」の中で私を、私たちを育めなかった。党派闘争が典型的ですが、つぶし合い。幻滅以上ののものを生み出せなかった。

 しかし反公害闘争や反原発闘争、科学技術批判や、反差別など是とすることもあったはず。反(アンチ)にはジン・テーゼを求めてこそ、その上にいけたはずだが、虚しかった。

 今改めてこうだったと考えているのは、東京から学生が来るといい、沖縄のこと話してねと言われているから、色々考え直しているのです。若い人が沖縄を知ることは、自分を問うことになります。今の学校教育は、間違った「国民像」を教育する機関ですから、国家にすり寄る「国民」、諦めばかりを受容する大人にしかならない。自己を失っていく。

 今ある「日本国」をそのまま是と思うことができない根拠が沖縄を知る中に隠されています。そこをあからさまにする一歩をお手伝いできれば、幸いです。そしたら新たな自分を見つけ、再出発できるかもしれません。私が知らない若者を知れたら、幸いであり、自分の道を深められる。

 私の準備が間に合うか、わかりません。しかし、私が取るべき視点は明確になってきた。なかなかスリリングな議論になるかもしれない。さわりだけで失礼しました。頑張ります。

 



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