2022年12月11日(日)ー➁ 曇のち雨
宮古空港駐機場脇から、三々五々移動。宮古島市役所へ。
私は荷物を担ぎ、歩いて移動。
①宮古島市役所からデモ行進出発。小雨。12:54
➁12:59 北西へ、旧市役所まで。
③13:00
④13:06 風強い中を歩く。ミサイル基地撤去! 空港の軍事利用反対! ブルーインパルスの飛行反対!「屋良覚書」を守れ! 宮古島を戦場にするな! デモに約130人が集まった。
「屋良覚書」とはー1971年当時、沖縄の日本への返還に当たり、下地島空港(3000m滑走路)の軍事利用を認めない(自治体の権限)との政府側の回答があり、今日まで有効だとされている。今回は宮古島市長が下地島空港の利用に言及するなど波乱含みだった。
⑤13:15 雨の中、踏ん張って歩いた。
⑥宮古島郵便局前。13:25
⑦13:27 あと少しだ。
⑧途中で、赤嶺政賢衆議院議員、糸数慶子前参議院議員がこのデモに合流。13:50
13:55 本日のデモ終点に到着。
清水早子ミサイルいらない宮古島住民連絡会事務局長が、この旧庁舎の由来を説明。何度も何度も前市長下地敏彦氏らに要請にきたと、報告された。
⑨一足先に帰られるとのことで辺野古の島袋文子さんが挨拶。戦争は絶対ダメと! お互いに励まされた。13:57
⑩赤嶺政賢衆議院議員。14:01
「敵基地攻撃能力」ではなく平和外交を沖縄から追求しようと。
⑪糸数慶子さんもきてくださいました。14:05
⑫一段と華やかな関西のバナー。14:05
⑬14:08
全国各地北海道から九州・沖縄までの報告を聞く。それぞれの思いが込められていた。
ひとりひとりの思いが、一団体一団体の思いが共有化され、大きくしっかりと根を張る努力を皆で続けよう。
⑭関西の後ろのバナーを作ってきた人。名作多数あり。どうやったら、市民にわかってもらえるかと考え考えやってきた。赤の端切れは、沖縄戦を想起してしまい、これまで使えなかった。改めて島が戦場になるのは許せないと使ったと。端切れ一枚にもこんな思いが込められているのかと、私は唸るしかない。14:13
⑮ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会の仲里成繁代表が締めの挨拶。あの野原のミサイルレーダーは米軍時代は敷地に入れたが、自衛隊となってフェンスが組まれ、入れなくなったと、基地の移り変わりを紹介。ミサイル基地と連動していけば、住民は弾かれ危険な目に合わされると、これからも反対していくと結ばれた。14:38
ここで解散となったが、明日も基地を巡る人も居れば、私のように今日帰る人も居る。しかし力を合わせていきたいものだ。頑張りましょう。