ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】千代田駐屯地に、水陸機動団などの車両が出入りしていたー伊良部島沖墜落事故⑱(20230421-①)

2023年05月07日 | 宮古群島

 2023年4月21日(金)曇 宮古島

朝、平良港を見て、9時頃出発(異常なし)。宮古島市役所に立ち寄り、宮古空港入り口へ。山中を経て野原岳(航空自衛隊第53警戒隊)を目指す。

緑が深いとアカバナーも一段とさえる。11:21

本日の私の目は自衛隊をどれだけ凝縮して捉えるだろうか?

まだ今年の私は、月桃を殆ど撮っていなかった。11:39

野原の脇の展望台から千代田の陸上自衛隊駐屯地を見る。ここから約1500m南。11:45

同じ場所から。空自第53警戒隊の2つのメインレーダー。ここから約200mぐらい。11:45

ひと休み。食事にしよう。

千代田に向けて歩き出す。南東へ。

歩兵第3連隊の戦没者慰霊碑。大日本帝国時代の戦争を侵略だったと私たちは見極めなければならない。12:55

「鎮魂」とは歴史を捉え直すことから始まるはずだ。

ここから野原も千代田の駐屯地も見えるのだ。空間も時間も重なってくる。慰霊碑に刻まれている人たちは、今をどう見ているのだろうか?

2023年4月6日、陸上自衛隊第8飛行隊のUH-60JAが伊良部島沖で墜落した。千代田にある宮古警備隊長の伊與田雅一、一等陸佐も同乗していた。「宮古の守護神として」と彼は自衛隊(宮古警備隊)のHPに書いていたが「何を守ろう」としていたのだろう。「与えられた任務」とあるところが、軍隊・軍人らしい。彼の命(いのち)は替えられない。合掌。

第53警戒隊は野原岳の尾根(南北方向)にある。これは南側。12:30

中間部。緑に擬装しているところがいつみても異様。12:39

ということで千代田へ(南)。

野原の集落を行く。振り向くと第53警戒隊。12:45

同じ場所から、前を向くと千代田駐屯地。陸自宮古警備隊等。12:45

警備隊とあるが、小規模な歩兵部隊。約200名だそうだ。ミサイル基地防衛隊というところ。ただしミサイル基地はここだけにあらず。石垣島・宮古島・奄美大島。そして、与那国島と沖縄島勝連にもできようとしている。単なる「宮古の守護神」ではなさそうだ。

北側からヘリの音。12:49

海上保安庁のヘリ。石垣島の海保の航空基地から飛んできたのだろう。そこまではいいのだが、この機体は、時計回りで2周半、警戒隊上空を回って北西へ(伊良部島方面)飛び去った。何だろう。何故だろう。

パイロットにきいてみなければわからないが、空自のレーダーに我が身(機体)が写っているのかなと飛んでみたのだろうか。ここと交信しているのだろうか。

南側から空自第53警戒隊。ほぼ全貌。あちらは標高約100mの尾根の上だ。13:03

4月6日も左側のレーダーは稼働しており、かのUH-60JAを捉えていた。15:56まで。この野原レーダーから北西に約17.5km辺りに墜落したようだ。そこまで方角も距離も位置まで、分かっていたはずなのに、捜索・救難の対応が遅れたのは何故なのか? 自衛隊と政府には明らかにしていただきたい。

これまで私は、同じ場所を何度も歩いてきたが、この事故を受けて歩くと、やはり違って見えてくる。

13:04 第53警戒隊。右2つのレーダーは、メインレーダーで受けた電子情報を那覇基地に飛ばしているレーダーだろう。手前は民家。

宮古警備隊駐屯地前。13:09

静か。

千代田駐屯地前にやってきた3分の1トントラック。第8通信大隊。13:09

第8通信大隊は第8師団傘下の部隊(北熊本)。今回の事故に関わる件で北熊本からやってきたのだろう。

車両が入ると対応する歩哨。小銃をもっている。13:10

私にも気がついたはずだ。

看板。宮古警備隊と第7高射特科群(対空ミサイル部隊)とだけあり、本隊である対艦ミサイル部隊の標示はないのだ。要注目。13:10

ここから見ると、千代田と野原の自衛隊基地がハッキリと見える。農家はいやだろう。不気味すぎる。13:13

一寸撮影位置をずらして。13:14

こうみると千代田の陸自第7高射特科群は、空自のレーダー基地も守るのだと言うことがよくわかる。

近くのよしみで、隊員もお互いを意識しているだろう。

しかし今回の案件について、連携が遅すぎたのではないか。

13:16 もう一度。空自第53警戒隊(南側)を見る。

北側。13:16

千代田駐屯地正面ゲート前にたつ「ミサイルいらない」の旗・旗。13:18

やや望遠で撮るとこうも見える。13:24

野原のボール2個は、気象レーダーか。

1500mしか離れていない。

メインの車道に出る。自衛隊万歳か。自衛隊協力会、家族会、隊友会の自衛隊への声援。13:25

久しぶりに、且つ、いつもとは違う緊張の中で歩いたので、疲れてきた。しかし、もっと粘れば良かったな。

市街地方向に戻り出す。

3両が千代田駐屯地方向に通過。「水機団ー施」の大型トラック。水陸機動団施設中隊だ。13:35

水陸機動団は、西部方面隊ではなく、防衛大臣直轄の「陸上総隊」傘下の殴り込み部隊。ここがきているのか。彼らは水陸両用部隊なので、水際での活動はお手のもの。施設中隊とは一般の陸自にはあまりない。「障害処理と機動支援」が任務らしい。水際の地雷等を爆破して、敵前突破を図る部隊だ。

こちらは「水陸機動団後方支援隊の衛生班」救急車。13:35

これは「15通」は第15通信隊。これは那覇の部隊だろう。13:35

街路樹越しの撮影なので視界が狭いが、確実に部隊名を狙う。

「早撃ち(撮り)マック」ぶりを示す。早撃ちの要領は、動作を最小限に抑えることだ。

基地の裏手から見てみる。大型トラック。「高圧ガス」とある。高圧ガス保安法第2条該当物件だろうが、何だろう。酸素だろうか。所属は水陸機動団施設中隊。13:39

ここから宮古空港へ。もっとここいらで時間を取り、戻ってくる車両を撮りまくれば良かった。

 



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