ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

下関・門司を経て、沖縄に帰ります(20220104)

2022年01月06日 | 旅の記録

2022年1月3日午後、広島から下関へ。福岡空港から帰るのだけど、色々調べたら3日の夕帰りよりも、泊っても4日帰りが安いとの結論。だったら、あの下関・門司で一泊がいい!

 3日夕方、下関の港を下見。19年8月の時、関門海峡を小舟で5分で渡った。この始発が何時だか、確認。

 下関と言えば、忘れもしないことがある。2012年7月22日のことだ。22日にオスプレイ12機を積んだRORO船グリーンリッジがここ関門海峡を通過し、岩国軍港に入るというのだ。岩国で待ち構えていた私は、これを関門海峡で撮ろうと考えた。岩国から下関まで、追いかけた。暑かった。来ないのだ。待たされた。陽が沈み、辺りは真っ暗に。最終列車の時間を気にしながら、駅までバスに乗った。バスの中から見たグリーンリッジ。まったくのシルエットで不気味だった。この悔しさが、今の私に生きている。あれから10年が経ち、米日共同でオスプレイを動かす時代になっている。

 関門海峡とは、日清戦争(1894-95年)以来の軍事の要衝なのだ。そのことを想起したできごとだった。あれから2015年5月、2019年8月、そして今回だ。

 前置きが長くなったが、そういうことなのだ。7時発の関門連絡船に乗る。

7:01 北側(瀬戸内側)に3隻の船が往来している。

通過したコンテナ船。7:02 まだ暗くて、ピンボケだ。

門司側を見る。7:02

海峡の幅約1500m。

門司側が近づいてきた。7:03

と思うと到着。

西側からコンテナ船が行く。7:08

これに乗ってきた。「ふくまる」 7:09

門司から下関へ。ふくまる。7:11

和やかなんだけどね。

往来。今日は4日だから、皆さん、年始の初仕事なのだ。7:12

軍艦はいない。

博多行きの電車は8時19分。1時間しかないのだ。

先ずはこれを渡る。ブルーウイング門司。7:16

歩行者が通過するのを待って撮影。

7:17 露出を下げて。

橋の真ん中で

7:18

振り返る。7:19

このアーチが上がる。1日6回。

コンテナ船が行く。7:20

見てたら、きりがない。7:21

7:27 帰りましょう。

タグボート。7:35 正月飾りは日の丸だけか。

新旧の建物が並ぶ門司港近く。7:38

門司港駅から北九州を経て博多へ。約2時間。途中、重化学工業地帯を行く。

 

【追記】それにしてもだ。公教育で習った歴史とは何だったのか? 殖産興業は戦争するためだと、侵略して、宗主国になりあがり、植民地をもち、「帝国」というお国柄へ。こうした事実を全く学んでこなかった。

 広島は、第5師団の本拠地であり、侵略の出撃拠点。長崎は軍事産業の街(現在も)。原因があって結果を受けるのだ。それが今日、米日核安保体制だと来ている。被害者となっても、加害責任追及を封じられてきたのだ。

 日本国民の沖縄への無関心は、ただ「忘れられた島」にしてきたからだけではない。1945年から1952年の占領された歴史を忘れ、被害と加害を痛撃してこなかったからでもあるようだ。

 従順な「日本人」から目覚めるときは、やってくるのだろうか。日本における近代化は、革命をもたらさず、より従順な「臣民」にしあげてきた。あれから77年の時間を生きながら、まだ右往左往している「日本人」。高度成長への幻想が剥がれ、つぶし合いになっているにもかかわらず、もっと、もっとうと、身を切るそうだ。

 「演技派」の「演技」(パフォーマンス)に飛び込むなかれ!

 もう私たちに嘆いている時間はない。私は部屋を片付けよう。(2022年1月6日)

 

 



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