田村智子議員(日本共産党)の行政監視委員会での質問が鋭い。対する官僚達は、事前通告になかったから知らない・答えられない、承知していないで逃げようとしている。なかなか公務員も辛かろう。まともに答えたくとも、答えたらおとがめを受けるし、如何に稚拙なウソを用いても、ごまかすしかないわけだ。
行政というものは、一応客観的な流れが定まり、評価されることが前提で、制度設計されている。この一部を封じこめても、関連した他の分野からボロが出てしまう。これを防ぐためには端から、関係各方面との事前調整ができないと、誤魔化しきれないものだ。
また石垣のり子参議院議員は、文書破棄を追及したが、何も残っていないはずはないよねと、迫っていた(191125)。当然だろう。そもそも担当の役人は部長だか課長の指示があって、部課長の決裁を得てやるのであって、ひとり黙ってやれるわけがない。それが公務員というものだ。つまり責任者は部課長或いは局長と言うことになる。だから曖昧にしたいのだろう。あうんの呼吸で、やることはありえないし、あってはならないのだ。特に今回の件は、特定の契約関係にない方々が多数出席している限り、彼ら彼女らの複数の口があり、ウソがばれやすいものだ。
安倍首相が幾ら王様だとしても、追及をかわすことは難しい。ボロがボロボロとでてきてしまう。王様とはだとしても超越的な没論理を駆使できるのだ。
私たちは「王様クラス」の首相を倒すことができるのか?! 確実に倒さなければならない。既に彼の支持率は下がってきた。じりじりと下げさせなければならない。「超越的な没論理」を打倒する一歩手前まで来た。しかし桜の会を巡る問題を破綻させることができても、問題はこの先にあるのだ。首相を辞めさせる事に繋げるための明確な論理を野党間で、市民と野党で共有できないと、野党は次の手で行き詰まる。官僚制度を打破することと相まった、次の手を練らなければならない。焦らず、しっかりとした策を弄すべし。
「王様は裸だ」と見極める市民が多数をなさなければ、ならない。これは桜の会だけでは無理だろう。民主的手続きを形骸化させることが、どれほど私たち市民の生活を破壊するものかを知らしめなければならない。「あなたは王様ではない」のだと突きつける運動が不可欠なのだ。