おはようございます。名護は雨。遂に沖縄県は、防衛省に対して、与那国空港を陸上自衛隊の16式機動戦闘車1両の輸送使用を認めてしまった。この問題は、日米共同統合演習「キーン・ソード23」の一環である。2011年から準備されてきた琉球諸島を足がかりにした対中戦争への仕上げの段階に入りつつあるということだ。
今回の機動戦闘車の与那国空港・与那国島への持ち込みを私は象徴的な事だと考えている。機動戦闘車とは車輪で走る(時速100km)戦車のようなものだ。砲と機関銃を有する地上戦を戦う武器だ。あらゆるものを踏みつけ、辺り構わず撃ち込み、殺し破壊する。
2011年からこの国が米国との協議しながら進めてきた「島嶼防衛」戦術は、琉球諸島の島々を戦場にすることを前提にしている。例えば、与那国島はサトウキビと、肉牛、放牧地だった。無論、海人の島でもある。自然豊かな島であった。しかし2016年基地ができ、自衛隊という軍隊の拠点の島に変貌してきた。台湾まで約110kmの地だ。ここではこれ以上書かないが、その島が対中戦争最前線に置かれていることを私は懸念している。
1897年という古き時代に、時の日本の権力は、北海道から台湾までの軍事通信網(海底ケーブル)を完成させている。今でも石垣島にその仮屋(跡地)が保存されている。日清戦争に勝った直後のことだ。明治維新を企てた連中は、当初から海外侵略をマジに追求していたのだ。そうしたDNA(象徴的に言えば)を未だに保存してきた日本民族の姿に、私は暗澹たる思いを深めている。
科学技術の発達は、人類社会を歪めてきた。核開発で限界まで達してしまい、槍も盾も先鋭化しすぎている。どこに突破口があるかと言えば、電子戦・サイバー戦、宇宙戦。お互いに考えることはほぼ同様だ。彼らは、人類の迅速な破滅を準備しているようだ。じんわりした破滅は化学が準備している。
ナショナリズムという偏狭な「常識」を私たちが克服できない限り、人類は争いの中で死滅していくだろう。「国家愛」は、他者である権力がふりまくものだ。破滅への奉仕を求めてくる。私は再び人を殺して「神」になる時代の再来を拒否する。
多様性を尊重するとは、このことの拒否に通じている。了解できないことは、一時保留して、共に歩むこと。人間は単純なので、こうした「一時保留」とか、議論し続けるとか苦手なのだ。面倒くさいのだ。やっちまえの方が、カッコいいと錯覚してしまう。取り返しのつかない勘違い。
私たち日本人の負は、巨大なのだ。計り知れない。そうなのだが今、私たちが琉球諸島で顕在化している事への《否》を突きつけなければ、始まらない。基地の島に否を突きつけながら、戦場への道を止めていこう。戦場への道は、破滅をもたらしていく。しかしごく一部の者だけが、儲かる仕組みとなり、大多数の者は貧しくなり、自由が奪われ、国によって生き方が決められていく。こうしたあり方を根本的に変えるためには、私たち日本民族が犯してきた過ちを問い直し改める以外にない。差別・分断を許さないことは、困難な課題だが、あきらめてはならない。可能性をあらゆるひとたちと追求していこう。
死に神を払いのけるのは、私たちだ。一人一人が生きる事への希望をもてなければ、こうした戦争に向かう岩盤を打破できない。人類とはひとりひとりの総和のことであり、ひとりひとりが自己を持ち、自信をつけていくこと。