昨日、浦添市美術館に「前夜-」をみてきた。石川竜一(写真家)、新垣安雄(美術家)、伊波一志(写真家)、秋山颯真(画家)、タイラジュン(写真家)の5人展だ。ボケてる私には、ぴんとこなかった。展示方法が地味すぎる。よくいえば、ひとり一人が考えてであり、余計なお節介を全く施していない。
私は冒頭でずっこけた。伊波一志さんの「平和の礎」をなんかあるなで素通りしてしまった。帰りにその前の椅子で帰り支度をしていたら、発見。よくみれば、ずらずらずらと20万余りを刻んだモニュメントがひろがっていた。意図した茫洋さに覆われ、命が軽んじられたと言いたいのだろう。よくもひとつひとつ撮ったな。その忍耐力に驚愕させられた。
入り口にあった新垣さんの鉄兜は、ぴかぴかで、ドント座っていた。79年前に沖縄島に散乱していただろう鉄兜とは、全く違う。形だけが鉄兜。そこが狙い目なのだろう。美術家の心意気。秋山さんの「G-19」や「ゲート」は半端だ。アイロニーをもっと凝らしたら。
私は普段そうした現物を撮っている。虎視眈々とアイロニカルに狙っている。だからもっと飛躍を呼びかけたい。批評や問題提起には、「これ」からのジンテーゼが必要となる。難しいことだけど、頑張りたい。
タイラジュンさんの不発弾処理の写真はわかりやすい。異形が並ぶ。不発弾が埋まっている沖縄。未だに爆弾を抱えたままの沖縄。悲しみの中に、私達は何を観ていくのか。やはり石川竜一さんの写真が素直だ。うちなんちゅらしい顔が、半分明日を見ている顔。
私が素通りしてしまったのは、私の目が悪いから。視力の悪さもあるが、生ものを観すぎており、不感症になっているのだろう。困ったものだ。他人の作品を観て、我が振り直せだ。
基地・軍事に覆われた沖縄を変えるのは、ひとり一人の透徹した目しかない。否、耳であり、肌でもあり、頭だろう。上手いマッチングを施せないのだろうか。
(本日5月26日最終日17時まで)