日本政府は2021年1月7日緊急事態宣言を発令した。無策で遅くて、優柔不断。どうしようもない。彼らの頭の中で現局面をトータルに認識できていないのだ。否、総体的な認識能力を欠いている。さらに責任感がない。これではダメだ。私はここで詳細について論じるつもりはないが、たとえ話をひとつ。
山を歩いていて急に天気が悪くなって来た。さぁどうする。風雨が強まり、視界が悪い。50m先が見えない。この先ヤバイ岩稜が続く。このままつっこむか、引き返すか、待機するか。判断を迷う局面だ。こうしたとき優秀な登山者ならばどうするか。優秀というのは、身の(仲間の)安全を第一に考える者だ。
この際に考える事は概略3つ。①天候変化の見極め。②この先のコースと迂回路、撤退路の見極め。③自身とメンバーの体調、志気の把握。これらのトータルを考えて決断する。因にこうした3項目は状況が悪化してから考えたのでは遅いのだ。慌てて考えたのでは冷静な判断が覚束ない。刻々とした見通しをもちながら行動する。こうしたことは登山の鉄則である。
政治は登山ではないから、こうした鉄則は当てはまらないのか? 確かに政治は、動かす者と動かされる者が別者だ。登山は同一人物だ。正に自己に対する責任。これは「自己責任」とは別物だ。自己責任とは社会的政治的責任を回避する際に謳われてきた。「お前が悪い」という他者・強者からの恫喝である。これに対し、「自己に対する責任」とは、自分の命・身体・心は自分が守るのだという自己責任(感覚)だ。ただ、ここに社会というものが入るので、単純に区別しにくいかもしれない。
安倍政治以降、特に政治家(権力者)は自分たちの儲け第一主義に偏り、他者を疎んじてきた。他者が彼らの眼中にないのだ。ご都合主義全開である。オリンピックで儲け、一花、願わくば大輪を咲かせたい。これだろう。これが彼らの思考の、選択の第一義にされるから、悉く判断は鈍くなり、遅くなる。併せて、このどさくさに中小企業など彼らの周縁にいる連中を押しつぶし、黙らせようとの野望もあるようだ。
連中が改憲にこだわるのは今や2つ。第一に、立憲主義だの民主主義だのといった「面倒なもの」をぶち壊し、ひたすら利益を得る。これは解釈改憲で最早何でもあり状態に。第2に、緊急事態条項で(明文改憲)、いざとなれば、内閣の閣議決定で黙らせる。今やこうした段階に入っているのが、我が国の現状だ。
米国でトランプ陣営が国会占拠を起こした。これは、憲法による法手続きを破壊する独裁政治の悪あがきだ。米日同盟が深化してきた中で、似たり寄ったりの政権になっていると見ることができるだろう。「米日愚図同盟」。
沖縄の闘いは孤立させられてきたが、沖縄は、新基地建設阻止を貫いてきた。この国の政治が「日米同盟」とか「島嶼防衛」などといって、基地の島になっており、市民の暮らしは危険物に密着され続けている。このままでは「私たちに明日はない」からだ。私たちが、自分たちの明日を考えるためには、私たちの今を考えなければ、不可能だ。今を考えるためには、今に至る過去を考えなければできないのだ。
あーあ、面倒くさい。しかし今こそ考えなければ、「あなた」(権力者)任せの生き方しかなくなる。馬鹿話で鬱憤を晴らすしかなくなる。
今、コロナ禍だからこそ、私は、人と会うことを大切にしたい。だからこそ、何故会うのか、どういう形で会うのかを考えなければならない。そしてコロナ禍でもやるべきことをひとつひとつやっていこう。
しかし権力者達は、緊急事態宣言下、ドサクサに紛れて利権話に打ち興じるに違いない。こうした動きに対してもクールに見極めていきたいものだ。