おはようございます。本日2024年3月5日(火)曇
昨日は、曇時々小雨でやや濡れました。一昨日から風邪気味で、本日の撮影は中止します。昨夜、雨具等干してありますが、濡れた物全部干してあります。これ、大事。濡れた物は干しておかないと、生地等痛みます。
今、沖縄防衛局のHPを見ました。2月11日に彼らが開催した東山訓練場の住民説明会の資料がでていました。A4、26枚もある。色刷りで、たっぷりとした説明。しかし内容は「島嶼防衛」の戦略的な意義を説明している。よくいえば大局的な見方で、はっきりいえば地元住民の疑問に答えていない。
両面印刷に失敗してしまい、後ほどやりなおす(紙もなくなった)。
彼らは戦争に向けた意義を語れども、住民の問題意識(危惧)への感度がない。戦争は平和、平和は戦争という2重のごまかしを前面に押し出しているようだ。昔で言えば、「衣の下の鎧」の現代版。2010年の防衛計画大綱が示した「動的防衛力」の思想が全面化している。力には力で対応する、圧倒的な力で畏怖させるという「抑止力」論。
しかし防衛省が大局的な姿勢だとすれば、住民説明会の対象を2つの自治会住民限定にしたのは、おかしな話しだ。大局的というならば、敵は中国・北朝鮮・ロシアだと仮定しているのに、日本列島~琉球諸島はその目の前にあることを弁えていない。撃てば撃たれるのだ。軍隊(自衛隊)は撃つことも逃げることも(「転身」といおうが「離脱」といおうが)できる余地があるが、住民はできない。シェルターに隠れる、九州に避難することなど殆ど無理だ。大地震も戦争も予定調和はない。そうした「想定外」を無視して進める軍事化に、私は反対していく。大震災から学ぶべき核心は、「想定内に限定する近代的発想」を克服していくことだ。「ありえない」と思っていたことがおきること、逆に言えば、普段から安全第一に考え、無理な「開発」を控えることだ。
そして住民から学ぶならば、軍事優先などの発想はありえない。軍隊に防災を依存するのは、矛盾しているのだ。私達はそうした矛盾の中を生きさせられているのだ。
「気候危機」を語りながら、軍事化を進める軍事(この国も同じ姿勢だ)政治を許せるわけがない。