おはようございます。2024年3月6日(水)曇
昨日11時頃、伊江島で大きな竜巻が起きたようです。私もその動画を見ました。大きな渦が海水を巻き上げながら岸辺を移動していました。被害は小さかったようです。怪我人もなし。陸地に殆ど侵入されなかったのが、幸いしました。
私は辺野古テント村に毎日のように詰めていた当時、しばしば竜巻をみました。殆ど陸上に上がらず、私が被害を確認したことはありません。しかしあんな渦に巻き込まれたら、吹き飛ばされるでしょう。私はこども時代、大きな竜巻の被害をみています。巻き込まれないためには、運を天に任せるしかないのでしょうか。当時は辺りに家も殆どなく、むろん頑丈な避難できるような建物はなかった時代のことです。
本日未明(4時頃)、突如、風雨が強まる気配を感じ、起き出して、ベランダに干していた物を取込みました。濡れてしまうよりも、風で落ちて階下の建物・人に危害を加えたら、ヤバいと思いました。無事取り込み完了。
酷い天気は局地的でしょうが、下手に外出して、どうしょうもない状態に陥るのは、避けたい。ということで本日も予定を中止。昔(1970年代から80年代)、台風崩れの寒冷前線下の稜線を歩いたり、高山の雷雲の中を1日歩き続けたりしましたが、無事だった。悪運が強かった。 2014年8月15日午後、辺野古の海で急に悪天候に見舞われ、殆どホワイトアウト状態。もう視界が見えなくなり、右に流されている。船長に私は左に行かないと大浦湾を出てしまうと叫びましたが、彼は中々気づかない。私達を監視している海保は、知らんぷり。自然界と政治の二重の制約を超えるのは、私達の冷静な判断と行動力だけです。忘れもしない一日となりました。
如何なる困難の中でも生きるという事を諦めたくない。昨日、別件で沖縄防衛局のHPを見たら、2024年2月11日に沖縄防衛局がおこなったうるま市石川に新たな訓練場を造る計画の住民説明会資料をみつけました。結果は既報の通りですが、この資料(A4、25頁)を見ると、この国の意思が並々ならぬ物だと感じます。沖縄・日本列島は中国・北朝鮮・ロシアの「最前線」だ。だから新たな対応が必要だ。第15旅団を第15師団にしたいと大軍拡を企む以上、新たな訓練場が必要だと。力んでいます。
こうした動きは、私が2010年に読んだこの国の「防衛計画大綱」が「動的防衛力」を打ち出したことから始まった。米国の意向を真に受けた動きです。この説明会で、「普通科部隊等の訓練や、部隊を展開させる訓練を行ないます。これらの訓練に於いて、実弾、空砲、照明・発煙筒などの化学火工品は使用しません」とある。
普通科部隊とは歩兵部隊。小銃・機関銃・迫撃砲などの武器を扱う部隊です。ここでそうしたものを使わないのではなく、発砲はしないが、そのための基礎訓練、殺すための訓練を行なうのです。「等」とは普通科部隊以外の偵察隊や通信隊、後方支援隊(兵站部隊)、対空ミサイル部隊や対艦ミサイル部隊も等に入る。「等」をつければ何でも含みうる。
夜間訓練をやると書いてあります。「行進訓練や偵察訓練等は、夜間にも実施することがあります」とあり、私の予想通りでした。ただ南北に800m東西に300mしかない敷き地内で行進訓練とはおかしくないですか。いってみれば400mトラックを何十周するトレーニングを想起できます。しかし同じようにではなく、敷地外との移動をやるに違いない。キャンプハンセンまで直線距離で約6km。つまり一般の道路も使う完全武装(弾を外してだとしても)した姿で夜間訓練を行なうつもりでしょう。
また車両の走行は、住宅密集地を避けると言っていますが、現況をみれば、住宅密集地を通らざるをえない。沖縄高速の北側に新たに道を造るのだろうか。
私達は改めて覚悟しなければなりません。戦争を止めない限り、沖縄が最前線に置かれていく。「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面しており、欧州で起きていることが東アジアでも起こる可能性は排除されません。『力による一方的な現状変更』を抑止するためには、相手の能力に着目しつつ、新しい戦い方に対応できる防衛力を備える必要があります」(同説明会資料)というこの国です。力任せ金任せで引き起こされる武力緊張は、トンデモナイ結果を招きます。その典型が79年前のこの国の姿でした。何も総括しないままに来てしまった79年間。
私達市民は、こうした武力に武力で構える態勢を心底から否定できるか。相互理解には困難が伴いますが、武力で金儲けする基盤(経済・教育・研究など)を固めれば固めるほど戦争にイエスといいやすくなってしまう。生類として「命どぅ宝」だと言える、確信できる私達をつくりあげていきましょう。私達の[戦争反対]を不滅にしていきましょう。