昨日今日と、長い文章を書いていた。本日19時過ぎに漸く終わった。8000字余り。この32年間を振り返り、今後どんなふうにやっていくのか。きわめて雑ぱくなものだが、こうして書いてみると、32年間は案外長いことがわかる。
「沖縄に行けば安保が見える」と行った、1989年5月の沖縄への旅。あのときの参加者たちは今何をしているのだろうか? 幸か不幸か、私はこの道一筋になってしまい、沖縄に住むことになってしまった。「対テロ戦争」の時代を経て、「島嶼防衛」(2010年以降)、対テロ戦争から撤収し、対中戦争に絞り込んできた米国。これは米国の軍事産業がちゃちな武器ではなく、でっかく戦えと発破をかけているんじゃないか。
1980年代に、中曽根政権が、「日本列島 不沈空母」論を唱えていたが、今はもっと質が悪い。米国の指揮下で中国と丁々発止するつもりだ。恐ろしいことになってきた。時代は大戦争の時代に入るのか。奴らもバカではないだろう。本気でやったらどうなるか。地球は壊れてしまう。米国も中国も。こうなると、どれだけ広いかだろう。地下の穴倉に逃げ込む。私は1996年に中国の北京に行った。中ソ戦争に備えて、巨大な穴蔵(核シェルター)があった。私たちは中に入った。いいけど、何年シェルターで暮らす気か? 穴蔵で食料は出来るのか? 水は? 古酒(クース)?
冗談やめてくれだよね。しかしこれが現実味を帯びてきた。コロナ禍一つ対処できない奴らが「国民保護」などできるわけがない。奴らだけ逃げるだろう。そんな連中が戦争の指揮をとれるわけがない。米国に依存だ。忌々しい。また明日にしよう。明日は別の原稿を書く。本日書いたものを当ブログに転載しよう。