菅政権が最後のドンズマリにきている。真っ先にやるべき国会を開催(憲法第53条による義務違反)せず、やれ党内人事だ、衆院解散だ、総裁選を遅らせる、などなど。すでに菅義偉の判断能力は失われている。こんな無能力の政権のまま、10月末に予定されている衆議院の会期末まで、このままいくのだろうか。「在宅医療」だと、人の命を放置していくのか。
医療の逼迫がこうなることは、6月段階で概ね、予想できた。菅の誤算はここまで支持率が落ちるとは思っていなかったことだろう。確かに、これまでどれだけ新自由主義路線をひた走っても、戦争態勢を強化しても、「上手く」いってきた。「世界最大の平和の祭典」が人心を幻惑してくれるだろうと思っていた。
ところが予定は未定になってきた。読み間違いに、オタオタしているのだ。ここまで政治の病が重症化してくると、自己治療は難しいだろう。総裁選で誰が総裁になっても、これまでの否をどこまで認めることが出来るのか、この一点を抜きに抜本的な改革は不可能だ。
「自分たちの利益しか考えない政治」=自公政治を終わらせよう。今後、権力ほしさにここにかけつけたい維新・国民民主も入ろうが、「自分たちの利益しか考えない政治」を私たちが終わらせるしかない。
だが、この道は遠い。遙かな道だ。たとえば、立憲民主党は、オリンピック・パラリンピック反対を貫かなかった。読みの甘さは、否定しようがない。野党の中では相対多数派だからといって、深い反省が出来るのか。枝野の会見をみていると、どうも無理っぽい。傲慢のそしりを免れない。
丁々発止の議論が出来るためには、共産党、社民党の議席が増えなければ、無理だろう。第2自民党政権は、もういらない。
沖縄から見ていれば、安保容認の立憲が、基地建設を止めることが出来るのか、地位協定の見直しをはかれるのか、自治の抜本的な強化を図れるのか。誰がやっても困難な事態が、あまねく広がっている。
米国は世界最大の武装=暴力国家だ。これとおちゃらけながら「同盟国」を推進してきたのが自公政治だ。アフガンの失敗を見よ。まさに「武力で平和はつくれない」。
どこの国にあっても生きているのは人間だ。ぶっ殺すのも人間、愛するのも人間だ。こうした心の機微に触れることが出来る政治が求められている。病に苦しむ人たちに手を差し伸べるのが私たちの政治であるべきだ。それはお手当をいくら出すだけではないのだ。こうしたことは、もはや簡単ではないことを承知で言うのだが、前人未踏の崖っぷちに私たち自身も立たされている事を自覚したい。自公政治と心中しない覚悟が問われている。半端なことでは勝ち抜けない。
他人との協力は、難しい。この難しさをどうしたら超えることが出来るのか?! 私たち自身が心の機微に無頓着でどうするのか。