2024年10月19日(土)晴れ 横浜 横浜駅西口の宿から東口に向かう。今日は横浜ノースドックを船の上から見る。昔はよく乗った航路なのだが、忘れている。今日のメイン会場が有名観光地でもあり、接続が容易。
だが、シーバスの乗り場(チケット販売場)が分からず、ややうろうろ。
10:31 乗船して上を向くとこうだ。ここはビルの下か。
たちどころに米国陸軍横浜ノースドック。LCU揚陸艇2020が止っている。10:35
なお、横浜ノースドックと那覇軍港などへの搬送は日常的に行なわれている。この2020もSLNCPAXもよく行き来している。ここから東富士演習場などで海兵隊が演習をおこなっているからだ。
SLNCPAX。米軍用化学タンカーだ。10:36
標準レンズで見ればこうだから、望遠レンズの威力は凄いのだ。10:36
私は動いている船に乗っており、うかうかできない。白いこの船は米国海軍「ヘンソン」海洋調査船。10:36
軍事目的の海洋調査とは? ここも横浜ノースドックだろう。
動いているものからの撮影は、背後にある構造物に気をつけないと、混じり合って、よくわからなくなる。充分な注意が必要だ。
ベイブリッジの奥にデカイRORO船。10:36
船名等は見えなかった。
進路は右折。海上保安庁大型巡視船PLH03「さがみ」。10:39
海保FL01「ひりゅう」。大型消防船。放水銃が4段になっている。10:44
小型だが迫力充分。消化力が優れているそうだ。
もう一枚。後ろから「ひりゅう」。10:44
10:46 ピア赤煉瓦桟橋。
浮桟橋。どっちが動いているのか? 暫し眺めてしまった。柱か、こっちか、桟橋か。柱は固定で、この船と桟橋が動いているようだ。
離れた。山下公園へ。10:52
10:54 PLH03「さがみ」全長105m。ズームレンズを適確に動かしたいのだが、ギリギリ。
左奥にPLH32「あきつしま」だ。10:56
PLH32「あきつしま」。ヘリの格納庫が2個付いている。全長150m。10:56
あっち見て、こっち見ていると、見落とししそう。
大型巡視船が横浜港に睨みを効かしているのか。遠洋航海用だろう。大都会の沿岸にこれがいるのは、異様だ。
註:このPLH32が、10月31日、11月1日、沖縄島の名護湾に現れたのだ(一部既報)。ネットで調べたのだが、なかなか所属がでてこなかった。横浜は海上保安庁第3管区保安本部がある。
シーバスが山下公園に着いた。黒い影に驚いて上を向いたらこれだった。氷川丸。11:00
氷川丸。でかいな。総トン数11622トン。全長163.3m。11:04
小さなシーバス(黄色)から見ると、氷川丸のデカさが際立った。11:04
山下公園に着いた。
11:25 船首側をみる。
懐かしい。この氷川丸は1961年にここに固定化された。私が小学校4年の時だった。観光(宿泊)施設になったのだ。泊まった。兄と家庭教師のH先生と3人だった。楽しかった。
氷川丸は1930年竣工。貨客船。日本ーシアトル外洋航路を走っていた。1941年8月、軍事緊張が高まる中で、シアトル航路休止。同年10月から逓信省に徴用され、引き揚げ船、11月から海軍に徴用され病院船となる。
戦場だった「南方」の各地(トラック諸島、ラバウル、パリクパパン、ジャカルタ、サイパン、マニラなど)へ向い、計24回の航海で約3万人の戦傷病兵を日本国内に収容したという(「日本郵政氷川丸の歴史」から)。航海途上で何人がなくなったのだろうか?
私も知らないことばかりだ。ジャカルタはインドネシアの首都だが、パリクパパンってどこよ? カリマンタン島(ボルネオ)の南東部。サイパンはグアムの北で、米国領。ラバウルはニューブリテン島の東方。パプアニューギニアだ。トラック諸島はミクロネシア連邦の中にある。世界地図と睨めっこして、やっとここかだ。
いずれもあのアジア太平洋戦争の渦中、日本国が侵略し、蹂躙しただろう地だ。それを「南方戦線」とかで片付けてきたのだ。民間船だった氷川丸が国策によって徴用され、病院船になったと、私たちはもっと知るべきだろう。
「楽しかった」思い出の氷川丸を経験した私だが、再び同じような事態が起こりうる時代に入っているのだ。今度は「南方」ならぬ「南西諸島」だぞ。我がまち・村でだ。知らない・気づかないことは、禍根を残す。屍を残すかも知れないのだ。
註1:尚、私は通常「南西諸島」と呼ばない。大日本帝国が付した名前だからだ。琉球の島々(何々島)、もっと広げてみれば、琉球弧だろう。
註2:今の氷川丸は観光施設だが、宿泊は不可。