ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

片付けながら考えると(20210815)

2021年08月15日 | その日暮らし

 一連の本棚整理。昨日はPC関連文書を1冊のファイルに収納。ごちゃごちゃしていたのをまとめた。いざというときに探すところからやるのは、さらなるストレスになるから。地形図の整理は終わり、躊躇なく探すようになった。面倒くさがりは駄目だ。

 本は一冊の中に主題が1個とは限らず、多様だとこれをどのように分類し関連づけるかが、肝心。自分の頭(問題意識)にそって、配列しないとならない。だから自分が変われば配列もかえないとならない。

 女性(差別)問題の本は、沖縄に来るときにごっそり捨てた。今はわずかしかないが、これはどこにいても重要なのだと思う次第。全然改善されず、かえって悪化してないか。確かにこの社会は縮こまり、抑圧は深まっている。より弱いところへ。弱小の男どもがあわよくばとうごめく姿は醜すぎる。

 デジタルカメラだから撮影即伝送できるし、加工ができるから悪さの欲望があおられるのだろう。女性は気をつけろでなく、男たちにしょうもないことは、やめろというメッセージをださなければならない。ストレスフルな社会を改めなければならない。「お前は監視されている」とやったら、逆効果だろう。

 人間が生きている時間は限られているのだから、もうちょっと生産的なことをすべきだろ。何が生産的なのかが問われるが。資本を中心に考える生産性と、生命として生きることを中心に考える生産性は明らかに異なる。自分が生きることを価値に据えれば、つまらぬ評価をさせることはない。ただ一人で生きているわけじゃないから、お互いの了解が重要になる。政治的な取り決めが求められる。平等社会をめざすのか、格差社会を目指すのか。その最悪なパターンはナチスの民族絶滅政策だった。それがイスラエルに転移し、また、になっている。

 平等社会は個性を剥ぎ取るのではなく、個性を磨く。個性を磨けば、また、競争主義がはびこる。悪循環かな。個と類をつなぐのが社会であって、国家なのだから、お互いに生きることに関心を向けない限り一部の横暴は止まらない。果てしない論争になる。

 もっとも近頃は、個と類をつなぐではなく切断するに走っている。巨大な個が弱小の個を押しつぶす。巨大な国が弱小の国を押しつぶす。結果、原爆で自滅する。結果、人間は如何に生きるべきかという哲学を前面に持ってこないとだめだろう。忙しい。

 小さな社会にも様々ないざこざがあって、悩まされる。民主主義という仕掛けはどこにも必要なのだ。巨大な国家がこれを蹴散らせば、人々はばらばらに走り回り騒乱がやってくる。国家に規則を委ねるのではなく自分たちが決める。これがまた難しい。人間は考える葦になるべし。

 片付けるということは考えることだ。買い物に出かけよう。



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