ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

呻く日々(20210805)

2021年08月05日 | その日暮らし

 部屋を(少し)片付け、部屋が明るくなった。久しぶりに、まだ明るいうちに夕飯を食べた(19時過ぎ)。いや、満足と言いたいところだが、心は呻くばかりだ。この2、3日、考え続けていることがある。

 先日書いた空母を保持する時代を迎える中で、改めて2014年の集団的自衛権の「合憲化」解釈について考え直していた。安倍首相はこう述べた(2014年)。他国から、同盟国が武力攻撃を受けた際、国民の幸福追求権が脅かされるなどの一定の条件がそろえば、集団的自衛権を発動する。ところで、コロナ禍でオリンピックを強行し、罹患者が日に日に急増しているが、これを無視してきたのが菅政権であり、とうとう中等症以下の人は自宅療養に切り替えると、政策を変えた。これこそ人々の幸福追求権(憲法第13条)の土台を破壊する政策であり、健康で文化的な最低限度の生活保障(憲法第25条)をぶち壊していくものだ。

 180度言っていることと、やっていることが逆転している。ご都合主義。で、集団的自衛権は同盟国が攻撃された場合の武力行使だが、武力行使と幸福追求権は基本的に矛盾するものをこういってごまかしてきた。コロナ禍の実態を見れば、これはますます嘘だと知れる。

 集団的自衛権とは何かを改めて憲法の参考文献をひもといてみたが、すっきりした回答が出てこない。自衛権は、個別的であれ、集団的であれ、武力行使なのだ。色々本をひっくり返してみた。1950年に警察予備隊、52年保安隊、54年自衛隊創設だが、この課程は朝鮮戦争の時代。それをバックアップしたのが日本だ。再軍備はこうして始まった。憲法第9条は個別的自衛権によって、壊されていったのだ。

 1996年に私は、この個別的自衛権と集団的自衛権の解説を書いていた。手短に。私も参加していた派兵チェック編集委員会編「日米安保『再定義』を読む」社会評論社 1996年刊 25年前にすっきり書いていたのだ。

 論点を整理して、あらためて書いてみたい。欺瞞の言葉を解きほぐすのは、大変だ。



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