ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

今年の沖縄でのクリスマスはレッド・クリスマスか?(191223)

2019年12月23日 | 暮らしと政治
 私は昨日廃弾処理を追って、辺野古テント村を約2時間出ていたせいか、久しぶりに目をやられた。昨夜はもう目が見えず、ブログの執筆を断念。沖縄では本当に暖かいというか暑い日が続いている。今日もほぼ半袖姿。
 明日はクリスマス・イブであるが、これじゃブルー・クリスマスどころか、レッド・クリスマスになりそうだ。
 沖縄に来て、ホワイトクリスマスはありえないが、いくらなんでも暑いよ、暑い、などというようなレッド・クリスマスは願い下げだ。もっとも熱帯の人々にもクリスマスはあるわけで、暑さの中で荘厳なクリスマスが行われているに違いない。私のような不信心なものが勝手なことを言っても、しょうもないようだ。
 余談はともかく、今日も数は少なかったが県外からも来られていた。ある半年前にきたという人が居た。何か変わったことはありますかというので、殆ど同様な状態が続いていますと答えた。もっとも今朝の新聞に政府が完成まで13年かかるとこう言い出していることを話題にした。しかし今日までの1年間の埋立て量は進捗率1%だから、単純計算すればあと99年掛かることになる。今が2019年だから2118年。私たちは誰も生きていない。もしも半分の50年で完成したとしても2069m年であり、その頃にはオスプレイもF-35Bも退役しているだろう。それどころか海兵隊そのものがなくなっている可能性もあるのだ。
 それにしてもあと50年も軍事力がのさばる政治が続くのだろうか。私たちはこれを続けるのだろうか。暗澹たる気分に襲われるのは私だけだろうか。
 こう考えている私に東京から来られた方は、こう聞かれた。「私たちは、何をやればいいですか?」 各地でやれることは多々あるが、安保政治を唯諾々と肯定していれば、何も見えてこない。この壁を如何に破るのか? ここが肝心だろう。軍事力でやれることは実は極限られていることに気づかなければ、生き延びていけないのだ。軍事力という奴は人も物も自然も壊すものだ。各国がこれを強化していけば、暴力の限りないせめぎ合い、エスカレーションになる。そのあげくに待っているものは人類の破滅だろう。こうした究極を想定せずに、この道を突き詰めていけば、私たちの未来は失われていく。
 皆さんはこのまま歩み続けますか? すでにわたしたち日本人は74年前の戦争をキチンと総括できなかった。だから今度は米国に追随しながら再び戦争の道を進んでいる。何しろ過去の愚を何一つ反省しない男を首相にして7年(通算9年)が経つているのだ。
 沖縄の外に居る人が何が出来るかは、自分たちで考えてもらいたい。しかし最低限いくつかのことは言える。①沖縄の問題を沖縄だけの問題だと捉えないこと。②軍事力の問題を至上命題だと捉えない。他方、私たちの暮らしぶりが軍事(力)に覆われているのだ。ここの是非を問わなければならない。③経済の基調を軍事経済がはびこる社会にもっていこうとしているこの国のあり方を検討すること。④軍事力を基調とする国は民主主義に背き、基本的人権や自治を敵視してくるものだ。⑤そもそもなぜ沖縄に米軍基地が蔓延っているのか? これは米日政府の力学によるものだが、ここに私たちは無関係ではない。大ありなのだ。
 だとすれば、あなたは何を始めますか? 問題は身近な場所にあるものだ。


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