ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

「軍拡より生活を」に連帯します(20230219)

2023年02月19日 | 考え直すために

 ネット署名(要請)が色々回ってくる。多忙な中で、時々読むのが面倒になる。しかしお金のない私が、できることは署名程度のことだ。だと思うから、できるだけ署名している。今、「軍拡より生活を」署名の途中報告が来たので以下の投稿をしてみた。

 「『軍拡よりも生活』に沖縄の地から連帯します。無論私も署名しています。国家による『安全』(大文字の『安全』)は個人を守らないことに、もっと気づかなくてはなりません。
 このことは過去の日本の歴史から、今現在の状況からも明白です。軍拡が進めば進むほど、個人は国家に使い潰されていきます。それも米国に従属することが「国益」だという「冗談」がまかりとおっている。呆れかえります。
 私たちが拠って立つ場をしっかりと確認し、認め合うことが大切です。頑張りましょう」。

 私は、米国ー国家ー沖縄ー個人と上意下達の支配構造が埋め込まれていると考えています。さらに差別の構造が何重にも私たちを取り巻いています。自公政権は、安保関連法を押し通す中で、日本国憲法第13条「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利(の尊重)」を持ち出し、「(同権利)が根底から覆される明白な危険がある事態」(「存立危機事態」)に集団的自衛権の一部を容認するのだと説明しています。

 しかし戦争とは国家が行なうものであり、諸個人を有無を言わせず突き進ませるものです。幸福追求の権利を守ると言いながら、個人を潰していきます。また平時における食やエネルギーの自給率の低さや、危険極まりない原発をたくさん並べながらの「安全」はありえません。これで戦争ができるのでしょうか。私たちは、足下をしっかりと見ておかなければなりません。

 一人一人が生きていく営みの中から、生活を作りだしていくことが大事です。しかし「国家の安全」を声だかに叫ぶ連中がいることも私は承知しています。しかし軍拡競争を認めれば、私たちは、生活を剥ぎ取られていきます。教育も医療も福祉も、剥ぎ取られ、軍事一辺倒になるでしょう。「産めよ殖やせよ」という体力すらなくなっているのではありませんか。軍事産業関係者だけがウッハ・ウッハ。

 無茶な軍拡で喜ぶのは、軍事産業と米国だけでしょう。個人の尊重、幸福追求権が泣いています。私たちは、淀んだ眼を頭をすっきりさせながら現実を見ていかなければ、あの時の二の舞に陥るでしょう。そうなる前の今、気づかなければなりません。私たちが拠って立つ場を確認し、認め合うことが本当に大切なことです。



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