ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

コロナ禍のオリンピック閉会式抗議行動をみて(20210809)

2021年08月09日 | 考え直すために

 昨晩(20210808)、2020東京オリンピックが閉会式を迎えた。これに抗議行動が行われていた。IWJが中継していた。私が見たのは夜中だが。

 「オリンピックは中止だ!中止!、廃止だ!廃止!」などの声が轟いていた。機動隊に会場のかなり前方で止められたらしい。法的根拠のない規制だ。道交法も、公務執行妨害もつかえない。警察権力は「邪魔者」を遠ざけろというオリンピック防衛の陣形だ。

 オリンピック反対の声は、かってなく広がった。最後まで消えなかった。しぶとく暑い最中、コロナ禍にめげず、誠にご苦労様でした。私は動画で2時間あまり見たので、状況がよくわかり大変参考になった。

 私は当初からオリンピック貫徹の先に戦争が出来る国作りを狙っていると考えているから、やられてしまったと失望していた。しかしこの動画を見ていたら、反対を貫く人たちが健在だと励まされた。勝負はこれからだ。

 だからこそ、私はオリンピック反対の先に、奥に、もっと大きなターゲットを据えるべきだと思う。

「国家の暴走反対!」だ。もはや菅政権がどうではないだろう。自公政権ならば首相が誰でもそうだったのだろう。立ち回りがうまい下手はあっても。もしも立憲民主党政権だとしてもかわらないかもしれなかった。彼らは「中止だ」と言わなかった。

 1964年のオリンピックは経済成長の起爆剤として、どんどん自然を破壊して進む政治経済が作られていった。おかげで私の故郷は完全に失われた。

 あれから57年も経ちながら、脱成長を呼びかける政治勢力が日本には不在なのだ。開発=破壊だと百も万も知りながら進む。96年の長野オリンピックの時は、長野新幹線が開通し、在来線を寸断した。今日ではリニア新幹線が日本アルプスをくぐろうとしている。原発再稼働が続く。避難者への補償が打ち切られ、「安全・安心」「風評被害」、「汚染水を垂れ流す」。まるで原発様がお通りだ。

 野宿者が追い出され、格差が拡大し、中間層は痩せ細る、露骨な階級支配の現代日本。私は階級支配などの言葉は使いたくないが、事実は事実。

 そこにコロナ禍の蔓延。政権はやると言ったらやるのだ。もはや後先考えていない。国家というものは恐ろしい。76年前と何も変わっていない。イノシシには失礼だが、猪突猛進。コロナ禍がなんだ。もやは何人死のうがそれがどうした。病院が逼迫しようが、医療者がどうなろうが、かまわない。政権に逆らう奴は「非国民」と、言いたいのではないか。

 日本国憲法の第1章が天皇だからね。「国民主権」など、幻想憲法。国民の権利・義務は第3章。自民党は1947年当時から欽定憲法に差し戻したいのだ。神の国の憲法へ。下々は「与えられたとおりに致します」。

 76年後の今日も大半の人々はこれを受け入れている。しかし閉会式の場面でも声を上げ続ける人たちがいた。私はこうした変化の予感を感じている。私たちが命の営みを維持しようと思えば、一人一人が考えて、行動しなければならないのだ。

 それにしても私は沖縄のマスコミには失望させられた。オリンピックを礼賛していた。沖縄の選手の活躍をもちあげていた。沖縄ナショナリズムが、日本ナショナリズムに簒奪されている危険性を理解出来ないのだ。誠に残念だ。

 この構図は沖縄戦の傷みの上に、大日本帝国礼賛をおいたようなものだ。76年間の時間の経過は沖縄の人々の歴史をわすれさせていくのだろうか。確かに喜友名諒はすごい。どこでみても。だが、オリンピック礼賛でいいのか。沖縄の人々を死に追いやった「日の丸」の下の金メダル。もっと冷めた目で見るべきだ。コロナ禍のオリンピック強行が何をもたらしたのか、していくのか。

 それとこれは違うというのだろう。しかしオリンピックはこうした歴史認識を薄めていくめちゃくちゃうまい宣伝装置なのだ。沖縄の選手の活躍は、新基地建設を進めることにも利用されていく。沖縄のスポーツは日本の中に取り込まれたら駄目だ。

 「島嶼防衛」とは琉球諸島を戦場に据える作戦だ。政権は、国家イベントに政治宣伝効果があるからこそ、強行したのだ。儲けだけだったら、「無観客」で、やめていただろう。世知辛いのだ。

 国家の暴走を食い止めよう。共に力を合わせて。 

 

 



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