ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

【締め切りました】「ダブル本」と「私と沖縄」

2022年02月17日 | ヤマヒデ企画

【締め切りました】受付を延長していました3月15日が過ぎました。受付は終了します。残念ながら、新たな申し込みはありませんでした。私に友人が読みたいと手をあげてくれました。後で書くということですが、15日を過ぎればいいでしょう。

 私としては、本一冊からでも沖縄を考えるきっかけになれば幸いです。ありがとうございます。早速今日送ります。(2022年3月16日朝)

   先日、蔵書を整理していたら2冊あった本がでてきたので、差し上げますと当ブログに提示した。これはただ紙資源として捨てるのはもったいないし、売るのもなぁと思い、タダで差し上げますが、『私と沖縄』を一筆したためてくださいとお願いした。

申請者に沖縄本の無料進呈、2冊限定(20220214) - ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

 これを書いてもらえれば、きちんと読んで頂き、無駄にならない行き先が決ると思ったからだ。しかしこの「私と沖縄」などいう課題は一般的すぎて、何を書けばいいのかと迷われるかもしれない。ところが昨日一件届いた。ありがたいことだ。

 たまたま、今年、沖縄県は「復帰50年」を迎える。こうした時間の中で、私・たち(ひとり・ひとり)は如何なる「私と沖縄」を考えるのだろうか。様々な思いがあって当然だし、「沖縄」には「琉球」が同格としてあり、それぞれのシマもある(シマとは島ではない。アバウト、生まれ・育ち、暮らす村落共同体の意)。

 やはりこの今だからこそ、ひとりひとりが「私と沖縄」を考え、頭を巡らすべきだろう。「復帰50年」を考え直すべきだと、私は考えている。大上段に構えるよりも、私は沖縄に係わってきたのは何故かを問い直す、タイムリーな時期だろう。これは決して県外の皆さんの問題だけではない。県内の人たちにとっても考えるべきことだと思うのだ。

 50年と言えば、半世紀。私にとっては「戦後50年」の1995年がひとつの分水嶺となった。この年、私たちは戦後50年を考える様々な企画を行った。「〈戦後50年〉改めて不戦でいこう!ー1995年・市民の不戦宣言集」(「戦後50年・市民の不戦宣言」意見広告運動編 1995年 社会評論社刊)がまとめられている。

 1945年から50年の道のりを歩んだ「日本」と、1972年から50年の道のりを歩んできた(歩まされてきた)「沖縄」の違いを想起すれば、私はこの違いを改めてしみじみと思わざるをえない。それは27年間の時間的な落差ばかりか、実態が余りにも異なっている。米国に軍事行動で蹂躙され、基地とされた沖縄。1972年以後も依然として、米日政府が「基地の島」にし続けている沖縄なのだ。

 沖縄の人々が「日本国憲法が適用される日本」に縋(すが)ったことを、私は理解する。だが、その日本国・国民は沖縄戦を「皇土防衛」のため、「皇国を守るための時間稼ぎの戦」を沖縄の人々に強いたのだった。そのことを忘れている国民は、このことに恥じること、思いを致すことは、ないだろう。

 日本国憲法があるはずの日本国の現状は、さもありなんだ。「島嶼防衛」「敵基地攻撃能力」などをみていれば、平和憲法は紅蓮の炎に包まれていると言うしかないだろう。

 「私と沖縄」に関連して、わかりやすいことを一つ出す。核攻撃を受けた広島で、市電(広電)が、確か1週間後に一部だろうが動き出している。沖縄には、未だにモノレールしかない。戦後77年が経つ今でも軽便鉄道さえ復活できていないのだ。この違いは軍事占領された沖縄だったからだというしかあるまい。統治者米国の統制下にあり、その下に従属する日本政府であり続ける限り、この関係は変わるまい。

 私がこの事例に気づいたのは、辺野古テント村に交通労働者の労働組合が再三おいでになっており、この話をしたら、皆さんそうかと思ってくださったからだ。

 私個人のことを言い出せば、そもそも私は海人間ではなかった。山人間であった。それがどういう風の吹き回しか、「沖縄といえば海でしょ」と思うまでになっている。小さな島国である沖縄は、同時に広い海に取り囲まれている。この海を自慢せずに何を自慢するのかと、私は思う。しかし「日本復帰」後の開発などで、海は汚れてきた。海から離れた生活が広がる中で、海への関心が遠ざかっている。

 その隙に乗じて、米・日政府は、「島嶼防衛」を掲げながら対中軍事網を確立しようとやっきになっている。シマは、島は、ひとつひとつがかけがえのないシマだろう。ここを軍事の要衝にさせたままで、強化されていいのか。

 「私と沖縄」を考えることは、日々の日常の中からできる。「私と沖縄」を考えることは、「復帰50年」を考え直すことであり、前後の長い歴史に思いをいたしながら考えることだろう。

 思えば私が、西暦で考え始めたのは、この沖縄問題と出会ってからだ(1971年)。国内の時間で考えていたら、とんでもないことになると気づかされたのだ。そして自立・自律という言葉の深い意味に気づかされたのも沖縄との関わりからだった。

 私も「私と沖縄」を考えていく。皆さんも考えて頂けたら、大変嬉しい。新たな自分の、人間の未来を生み出していくひとつのきっかけになるだろう。もちろん、一杯考えてきた人も、考え続けていただきたい。日本国憲法が絶滅させられないためにも、内心の自由を鍛えていこう。

 



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