ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

年末の一件落着から考える(20201229)

2020年12月29日 | 考え直すために
 2020年12月13日に私が遭遇した案件が、本日一件落着した。私の主張が認められ、会社から謝罪と改善策が示された。完璧な解決なので、ここでも事案を明らかにすることはしない。
 ただ暮している中で遭遇したことを如何に社会化するのか、この問題について触れておきたい。感情的に怒ったことを社会的な問題だと気づき、整理し指摘しない限り、もやもやが募るだけだ。ほっぽっといたら、釈然としないままに終ってしまう。
 先ず大切なことは、そのとき何があったのか、この記憶をひとつひとつ洗い出し、何が起きたのか、何が問題なのかを整理する。無論相手があることなので、相手の内情を調べ、如何したら最適なアプローチができるのか、これを考えることが重要だろう。具体的なことを書けないので、よくわからないかもしれないが、会社内の問題と、社会的な問題とをダブらせながら、整理する。こう書けば簡単に見えるが、感情が先行していれば、頭が濁って整理できない。こうしたときに支えてくれる友人や団体があれば、全然違うはずだ。
 
 ある意味、今回の私の屈辱は、ささいなことだろう。もっともっと悔しい思いをしながら、言葉にならず、泣いている人がいるのだと再認識させられた。その典型は、セクハラの被害者だろう。これ、記憶を思い起こすことだけで、泣くしかないだろうと思う。記憶を思い起こし、整理しない限り社会化できないし、相手と向き合えない。
 孤立していたら、社会化する、それ以前の言語化することじたいが難しい。今の日本社会は、正にその最悪の孤立化を人々に強要している。だからこそ、労働者的な団結などというはるか以前の段階で、対策を考えなければならない。
 菅政権が言う「自助・共助・公助」は、この孤立化を前提にしている発想だ。この限りでは社会化できない。社会化できなければ、「公助」を求めることじたい浮かんでこないのだ。
 こうした発想に抵抗するグループが、今様々に作られているし、もっともっと創るべきなのだろう。既成の組織も自己変革が問われているだろう。お互いに学び合うことが重要だ。
 これは沖縄でもそうだろう。色々と考えていかなければなるまい。私の小さな案件から、思い浮かんだことは大きいようだ。
 


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