おはようございます。2023年9月25日(月) 今日も晴れています。名護市西海岸
昨日は、沖縄を再び戦場にさせない県民の会設立集会に行ってきた。私は室内集会を撮る余裕もないし、意味もないと思ってきたので、カメラを持っていかなかった。しかし意外と見せる演出があり、カメラをもっていけばよかったと、些か後悔している。「戦争をしない、させない」は、2001年の9・11米国への攻撃以降、反戦市民運動の中で語られてきた。今、沖縄で語られている「沖縄を戦場にしない」は、実感から、スローガンへ、身近な暮らしから自分の生き方へ、軍事力から外交力へという、問題として語られだしている。
昨日の集会で言うと、オール沖縄会議共同代表の金城徹さんが登壇し、元自民党員でしたと自己紹介しながら、今後も反戦、辺野古新基地建設反対を貫きますと、言っていた。これが私には一番印象に残っている。米日が仕掛けてきた「島嶼防衛」への抵抗が遅れた沖縄の要因の一つがオール沖縄会議にあるからだ。
オール沖縄会議は、翁長雄志県知事誕生と共に生まれてきたが、保革を繋ぐ共通項が①辺野古新基地建設反対、②オスプレイ導入反対・撤去だった。だから島々への軍拡に対する沖縄島の問題意識は、圏外のことになってきた。私は、『命どぅ宝』で、克服できるはずだと考えてきたが、できなかった。新たな動きは、うるま市に対艦ミサイル部隊の新設(2021年)の動きが出てきてからだ。2022年に「台湾有事」が煽られて以降のことだ。
こうした軋轢を抱えながらオール沖縄会議も、今設立集会に出席し、発言した意味は限りなく大きいと私は考える。私自身はこの集会の設立に一切関わっていない。体調が悪かったこともあるが、名護から那覇まで会議に出かけるお金と体力はないからだ。私は私にできることしかやれない。今集会に出席して、「沖縄を戦場にさせない」を貫くために、私は何をすればいいのかを考えたい。愚直に動き出すしかないようだ。
もう一点、昨日の集会で私の目を引いたのは、子どもたちのざわめきだった。広い会場の階段を走り回る子どもたち。こういう世代が来ているのだ。次世代に繋ぐ肝要さは言うまでもない。
私は名護市に居を移し、来月で10年になる。早いというか、天地がひっくり返るようなことに見舞われながら、しぶとく沖縄島の名護市に居る。2020年8月以降の天地がひっくり返るような大転換の中で、どうしようと思いながら、苦戦を続けてきた。しかし地道に、愚直にやるしかないようだ。
昨日の集会宣言にある5項目(以下要旨:①安保3文書を容認しない、➁敵基地攻撃能力の保持、長距離ミサイルの開発配備反対、③米日共同演習に反対、④政府は、対話による外交を、⑤県民は、再び沖縄が戦場にされることに絶対反対)に、私は基本的に同意する。私がこの3年間試みてきたことに重なるからだ。命の営みの現場である島々を踏みにじられてはたまらないからだ。1997年以降反対してきた辺野古・大浦湾の新基地建設反対とも重なるからだ。
2023年始には、10年目だから何かしたいと考えていたのだが、6月末からの病とリハビリですっかり、不可能になってしまった。改めて考え直したい。国家権力との持久戦に耐えうる力を付けていこう。