(1) 記憶の彼方に
記憶とは薄れるものだ。よく言えば「更新」されるのかもしれない。しかし薄れ、忘れてはいけないこともあるのだ。
2022年7月8日安倍晋三氏が銃撃され、亡くなった。あの衝撃から2週間余りが経つ。2022年7月22日、岸田政権は「国葬」(9月27日)を閣議決定した。岸田政権の暴走も止まらない。国会審議を素通りし、内閣だけで決める。こんな「安倍政治」を私は許さない。
(2) 「民主主義を守る」とは如何なることか?
銃撃に対して「民主主義を守れ」と、自民党から共産党まで言っていた。かくいう私も言っていた。暴力で民主主義を封殺することは、人命を傷つけ、議論を封じ込め、民主主義を破壊することになる。だから私は反対する。
一方で、安倍元首相を「国葬」にすることは「儀式」を通じた民主主義の破壊である。民主主義とは、「一人一人が考える」、「一人一人が考えることができる」ことが基本だろう。「国葬」は、その一人一人が主語(主体)となる民主主義とは真逆だ。一人一人の考え(内心)に国家が介入し、哀悼を強制し、「偉い人ね」「お世話になったね」と心を合わせていく。
私たちは、「民主主義」とはどういうことかを常に考えながら生きていかなくてはならない状況下に生きている。油断は禁物だ。
(3) 沖縄に暮らしていると
私は東京に生まれて、2013年10月から沖縄に暮らし始めた。第2次安倍政権(2012年12月―2020年9月)の途中で引っ越してきた。東京にいると、近くに官邸や、防衛省等の省庁があり、国会があり、また米国大使館がある。私は事あるごとに通っていた。東京は「日本国」の首都・中枢だから、政治が近くで行われており、比較的見えやすい。
沖縄から官邸や国会は遠い。いくら気になることがあっても、沖縄で入手できる情報は少ない。簡単に行けない。もう法令の審議などは東京近辺の方々にお任せするしかない。そう思うと、どうしても情報を入手することじたいがおろそかになる。重要土地監視規制法や経済安保法の時がそうだった。
沖縄にいれば、現場が近い。時々刻々、事件・事故や軍隊の運用が目の前で行われている。私なりに現場からの観察を行い、反対運動にも微力ながら関わってきた。
本来、私たちが政治に関わる際に肝要なことは、政治過程の動きとその結果としての現場を切り結び考えながら動くことだ。基地・軍事問題でいえば、これは案外難しいことだと痛感させられてきた。この分裂を意識しながら、私は沖縄から考えたい。
(4) 第1次安倍政権(2006年9月-2007年9月)の防衛省新設
このとき何があったのか。教育基本法の改悪と、防衛庁設置法の改定が大きいだろう。前者については、改めて検討したい。
防衛庁設置法と言ってもピンと来る人は少ないだろう。防衛庁が「防衛省」に変わったのだ。「防衛庁長官」から「防衛大臣」へ。2007年1月9日のことだ。「庁」から「省」への一字の違い。だがこれは大きかった。
何があったのだろうか。簡単に見ておきたい。2006年1月30日、防衛施設庁幹部が談合事件(建設工事に関わる競売入札妨害)で逮捕された。この談合事件と情報漏洩事件、自衛官の大麻所持事件が口実とされ、防衛庁と防衛施設庁を統合し、防衛省へ。政策官庁(外務省と並ぶ省)となることに、「米軍再編」を推し進めることが意図されていたのだ。小泉政権時の不祥事を駆使し、安倍政権が自衛隊を米日共同作戦軍に押し上げていこうとしたようだ。
以前は、「専守防衛」を建前にしており、自衛隊のイラク派兵や、インド洋への米軍等への兵站支援を時限立法的にやっていた。これを「周辺事態への対応」や「国際平和協力活動」として「本来任務」に昇格させたのだ。
また、都道府県・地域への「理解・協力」を重視する名目で、「防衛施設局」を「防衛局」に改組している(「沖縄防衛施設局」から「沖縄防衛局」へ)。
このステップがなければ、到底2015年の安全保障法制(戦争法)など考えられなかっただろう。また、新基地建設にもこうした組織的な後ろ盾(任務と能力)が必要だっただろう(要検証)。
(5) 第2次安倍政権へ「日本を取り戻す」キャンペーンと「主権回復の日」(2013年4月28日)
2009年8月の衆議院選で民主党は480議席中、308議席を取り完勝(自民党:119議席、公明党:21議席)。民主党政権が誕生した。鳩山政権(2009年9月―2010年6月)は、普天間基地の県外・国外を追求したものの、防衛官僚らによって、断念に追い込まれ、降板。2012年12月の総選挙で自民党は294議席、公明党31議席を取り政権に返り咲いた。民主党は57議席で、完敗。自民党安倍晋三総裁、石破茂幹事長(当時)が真正面から掲げた「日本を、取り戻す」キャンペーンが大いに功を奏したようだ(2012年12月の衆院選と13年参院選で)。
この「日本を取り戻す」は、「民主党政権によって壊されてしまったこの日本を、自民党が1日も早く再生する。諸外国に対し、断固とした覚悟を示せる『強い日本』、デフレから脱却し、経済が活性化する『豊かな日本』、この国に生まれたことを『誇りに思える日本』を取り戻す決意を示しています」と自民党はぶちあげた。
無論、2011年3月11日に起きた東日本大震災による大災害からの復興を意識しただろうし、「戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す闘いでもあります」(安倍晋三)とも語っていた。「日本を取り戻す」を聴き見た日本人は、それぞれの思いを馳せながら、自民党に投じてしまったのだろう。自公政権は、経済主義とナショナリズムの幻想を煽り、政権を取り戻したのだ。こうして2012年12月、第2次安倍政権が誕生した。
また、自民党は、2012年12月衆院選の公約集に来る13年4月28日に「主権回復の日」式典を行うことを掲げていた。2013年3月12日の閣議決定で、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」の開催を決定。
沖縄から、1952年4月28日は沖縄・奄美・小笠原を米国の施政権下に置いたままの「日本の独立」であり、『屈辱の日』だとの批判が湧き上がった。
ここで当時の政府の主張(2013年4月5日安倍首相名の照屋寛徳衆議院議員への答弁書)を確認する。この日は、サンフランシスコ条約の発効により、「連合国は、日本国およびその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」との規定に基づき(中略)我が国の未来を切り拓いていく決意を確固としたものにするという趣旨で、『主権回復・国際社会復帰を記念する式典』を挙行することとした(中略)。/本式典に当たっては、沖縄が先の大戦において、悲惨な地上戦を経験したこと、また同条約の発効以降も一定期間、奄美群島、小笠原諸島および沖縄の方々が、我が国の施政権の外に置かれたという苦難の歴史を忘れてはならず、苦難を耐えぬかれた先人の心情に思いを致し、沖縄の方々が抱える基地負担の軽減に取り組むとともに、奄美群島、小笠原諸島および沖縄を含めた我が国の未来を切り拓いていく決意を新たにすることが重要であると考えている」と答えていた。
この考え方は、米軍と皇軍による沖縄戦に蹂躙された挙げ句の沖縄占領が、現在に至るまで、沖縄への米軍基地の負担につながり、同時に、戦後日本国が、米軍の「自由使用」を受け入れる限りでの「独立」であることをごまかしている。安倍政権は、「悲惨な地上戦」、「苦難の歴史」、「苦難を耐えぬかれた」と連発しながら「基地負担の軽減」を、その後の新基地建設などで明らかなように沖縄への基地の過重な押しつけをスルーしたままだ。沖縄を明らかに愚弄している。
「日本を取り戻す」という表看板と、沖縄への基地負担の押しつけは、表と裏の関係ではなかったか?! これが第2次安倍政権の本音だろう。
(6)2010年民主党下の「防衛計画大綱」から13年安倍の「防衛計画大綱」へ
安倍元首相の基地・軍事問題の検討に入る前に、私は2010年12月の民主党政権(菅直人首相)下の「防衛計画大綱」の大改定を確認したい。
防衛庁は、2007年に防衛省となった。先に見たように鳩山政権は退陣に追い込まれた後の菅直人政権が、10年12月、防衛計画大綱を改定した。一口に言うと、米ソ冷戦構造の消滅(1991年)により、米国一極集中の軍事力となったことを受け、「基盤的防衛力構想」(米ソのパワーバランスの補完としての自衛力)を廃棄し、「動的防衛力」を打ち出した。従来通り「専守防衛」「非核3原則」を掲げながら、具体的に(陸海空の)統合的な軍事態勢の強化を打ち出し、「島嶼部に対する攻撃への対応」等を打ち出した。ここから与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島への陸上自衛隊の部隊配備等が計画されていく。
歴史とは皮肉なものだ。あるいは期せずして連接していくのだ。表向きの変化と裏側での連続を私たちは軽視してはならないのだ。
そして安倍政権は、2013年12月、「防衛計画大綱」の改定を行った。武力対武力の「動的防衛力」を「統合機動防衛力の構築」に強化・まとめていく。米日同盟をより緊密に、陸海空3軍の統合防衛力を「グレーゾーン」でも、時と場合に応じて「平時」から「有事対処」まで「シームレス」(継ぎ目なく)に強化するとしている。
「常続監視」という聞き慣れない言葉が際立つ。「常時継続的な情報収集・警戒監視・偵察活動(以下『常続監視』という)を行うとともに、事態の推移に応じ、訓練・演習を戦略的に実施し、また、安全保障環境に即した部隊配置と部隊の機動展開を含む対処態勢の構築を迅速に行うことにより、我が国の防衛意思と高い能力を示し(後略)」などと続けている。
「安全保障環境に即した部隊配置」とは「島嶼部に対する攻撃への対応」を見越した上で、先に示した島々への対艦ミサイル等の部隊配置ばかりか、「島嶼への侵攻があった場合に速やかに上陸・奪回・確保するための水陸両用作戦能力を新たに整備する」、「機動運用を基本とする作戦基本部隊(機動師団、機動旅団、機甲師団)を保持するほか、空挺、水陸両用作戦、特殊作戦、航空輸送、特殊武器防護および、国際平和協力活動等を有効に実施しうるよう、専門的機能を備えた機動運用部隊を(註:国内各地に)保持(実は改組)」する。
註:●機動師団とは、島嶼部に対する攻撃に備えて、迅速に効果的に動かせる部隊。師団と旅団は規模の差。師団は8000名から9000名の規模、旅団は4000から5000名規模。ひとつの師団、旅団は、作戦上の完結能力を有している。
●「特殊武器防護」とは、核・生物・化学兵器に対する対処能力。防護ばかりか攻撃もあるだろう。
こうした態勢は、事態の推移を見越した前のめりの軍事基地の強化となり、民間空港・民間港をも戦争態勢に組み込んでいくだろう。
(7)「集団的自衛権」の「解釈改憲」による整備の強行
安倍元首相は、2007年5月「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を組織し、改憲の準備を始めた。2008年6月、報告書がまとめられたものの、それを引き受ける政権がなくなった。2012年第2次安倍政権となり、2013年2月第2次安保法制墾が立ち上げられ、2014年5月15日報告書が内閣に提出された。また安倍政権は解釈による集団的自衛権を是としない山本庸幸内閣法制局長官を更迭し、小松一郎(旧フランス大使)を据えた。
こうして2014年7月1日「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を閣議決定した。「我が国は、戦後一貫して日本国憲法の下で平和国家として歩んできた」で始まり、第3段落の冒頭「政府の最も重要な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることであり、我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、政府としての責務を果たすため」、①「力強い外交」➁防衛力の整備、③日米同盟の抑止力の向上、④「切れ目のない対応を可能とする国内法制の整備」を挙げている。
本文は「Ⅰ 武力攻撃に至らない侵害への対処」、「Ⅱ 国際社会の平和と安定への一層の貢献」、「Ⅲ 憲法第9条の下で許容される自衛の措置」をまとめている。
本論はⅢだが、Ⅰは「グレイゾーン事態」を想定し、自衛隊と警察・海上保安庁の合同の態勢を整備し、「自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動(共同訓練を含む)に現に従事している米軍部隊の武器等の防護であれば(中略)必要最小限の「武器の使用」を自衛隊が行うことができる」よう法整備を要請している。
Ⅱは「国際平和協力活動」への積極的な参加(海外での自衛隊の展開)での「駆けつけ警護」は自己保存型と武器等防護に限り、「武器使用を伴う在外邦人の救出」を可とするなど、何かにつけて自衛隊を海外でも動かし、あわよくば、武器の使用を拡大しようとしている。
さてⅢ「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」を見てみよう。
①「我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、如何なる事態においても国民の命と平和な暮らしを守りぬくために(中略)如何なる解釈が適切か検討してきた」と解釈改憲を検討してきたと言う。
②「憲法第9条はその文言からすると、国際関係における『武力行使』を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している『国民の平和的生存権』や憲法第13条が『生命、自由および幸福追求に対する国民の権利』は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない」としている。
こうした抽象的なレトリックにすべてのごまかし(欺瞞)が隠されている。国民の基本的人権とそれを基礎とする「平和的生存権」を国家の「国家存立の危機」に持ち出し、武力行使を正当化している。国家の「武力行使」と、国民の「平和的生存権」は真逆の事柄でありながら、国家は国民の命、自由および幸福追求に対する国民の権利」をさも大切にしているかのように描きだしている。これを、私なりに先読みすれば、次に出てくる言葉は「国家に従え」と言うことだ。
③「一方、この自衛の措置は、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむをえない措置として初めて容認されるものであり、そのために必要な最小限度の『武力行使』は許容される(中略)。昭和47(註:1972年)年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところ」と古証文(だから一貫しているかの如く)を持ち出している。
いくら「最小限度の武力行使」に限定したところで、武力行使には武力行使が返ってくるものだ。まして我が国が攻撃されていない中で、「集団的自衛権」を行使するとなれば、当然反撃されるだろう。自ずと衝突はエスカレートしていくだろう。
なお、重大なことは、この72年の文書は、集団的自衛権を認めない立場から書かれていたことが隠されているのだ(「『安全保障』法制と改憲を問う」。山内敏弘著)。それをそのまま(真逆に)当てはめるというのは「牽強付会」(前掲書)というか、大嘘だと断じざるを得まい。
④外国における、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきだと判断するに至った」としたのだ。
少なくともここで不可欠なことは、同盟国への攻撃が自国の「存立が脅かされる」ことに通じていくのか、これを如何にして判断できるのか、客観的な論拠を示せるのか?
従来の「行使できず」を「行使可能」に代えた論拠は「パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃だとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こりうる」という。
これもまったく論理的ではない。武器が高度化しているから、集団的自衛権を行使できるとすれば、かえって、「存立を脅かす事態」を招き入れかねない。それどころか先制攻撃待望論が吹き荒れないか。武力の強化と、「国民を守る」は明らかに矛盾してくるのだ。彼らが口にする「国民を守る」なる言葉の軽さが露呈している。
(8)ひとまずのまとめ
安倍元首相が、安倍政権が何をやってきたのか、いささか振り返ってきた。明らかにこの国を、我々を参戦にむけてきたようだ。そして彼は様々な問題を振りまきすぎ、何が問題であるかを、かえって見えないようにしてきたようだ。私たちは、政治家の闇を国家の闇をベールの中から、こじ開けていこう。銃撃という衝撃を乗り越えて。
(続く)