おはようございます。この3ヶ月心労が溜まるや、この2週間睡眠不足など、疲れ果てました。6・23のことなど書くべき事が多数ありながら、書けません。渡る世間は鬼ばかりですね。
本日から東京都議会選挙が始まっています。どうなることやら、心配です。昨日、久しぶりに世田谷の市民運動の事務所に電話したら、世田谷の社民党は殆ど立憲民主党に行ってしまったと嘆いていた。寄らば(相対)大樹の影で行くわけですよ。私は、沖縄でも2分裂したと話しました。沖縄の場合は、また意味が違う。60年代の復帰闘争が「平和憲法」の下にある日本復帰でした。しかし今や、改憲・戦争に向かっている「米国下の日本」です。こうした流れを決定的にしたのが1994年の村山連立政権だった。
ここの総括が問われつづけているのに、「立憲」に走れば、この総括も投げ出す。大変難しい問題ですが、こうした分岐点を超えてしまった「革新勢力」の歴史的責任は、消えません。無論、やまと側の政治ですが、入り組んだ政治をきちんと総括しないわけに行きません。
他方で、最近、瀬戸内海等に生息してきたカブトガニが、笠岡市立カブトガニ博物館ができ、野生のカブトガニも現存していると私は知りました。そう思うと沖縄のジュゴンは哀れです。1972年まで米国の施政権下に置かれ、人々は基地問題に呻吟しながら、野生生物の保護に注目をするいとまがなかったのでしょう。そして今度の新基地建設で、日本国政府によって沖縄島周辺の海域で一番の餌場が壊されてしまった。過去形です。生存を示すだろうジュゴンらしき声紋を沖縄防衛局は公表を阻んでいます。
一方で、一部の研究者が「沖縄のジュゴンは絶滅した」と学会誌に公表。実証研究を忘れて、「絶滅」を叫ぶ輩が跋扈しています。この人達は、沖縄防衛局に委嘱されている環境等環視委員会メンバーを含む面々です。絶滅を叫ぶならば、先ずこれ(声紋の生データ)を情報公開させるのが先決でしょう。
トキだって、コウノトリだって、地元の篤志家が踏ん張って、開発一辺倒だった1960年代に保護運動を展開し、県を動かし、国を動かしてきたのです。沖縄は開発が、敢えて言えば基地開発で、米日両政府が軍事化を推進してきました。こうしたことが沖縄の現実だと思うと、2重3重に情けない。辛さが増してきます。沖縄をここまで押し込んできたのは、何だったのかを考えないとなりません。一見基地問題とは関係なさそうなことまで基地・安保問題が影を落としている。
私たちはもっともっとクールにモノを見なければなりません。あぁ。