ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

知事「不承認」の根拠に「人道的理由」を書き込んでー6.23ハンスト(20210623)

2021年06月26日 | 沖縄島中南部

2021年6月23日(水)曇り後雨 糸満の平和祈念公園

6月19日~始まった「ガマフヤ-」の具志堅隆松さんらのハンストは23日の「慰霊の日」で今回の最終日。コロナ禍の上に、あいにくの雨となった。

ハンストをやっている場所を探していたら、いつもの場に平和祈念式典のセットができていた。「日の丸」に首相の献花。イヤな物が目に入る。大日本帝国が起こした沖縄戦の慰霊祭がこれだから。10:17

ハンスト会場を見つけた。式典の直ぐそばだ。10:20

首相が来ていたら首相一行の警備との間でもめるだろうが、彼らはコロナ禍で招待されていない。「沖縄戦の慰霊とは基地をなくすこと」だ。私たちはここを踏み外してはならない。これは歴史的にも政治的にもひとつながりだからだ。

宗教者の読経が始まった。10:57

Kさんがお経を詠む。良い声してる。

沖縄戦で亡くなられた方々を弔う。

日本山妙法寺の皆さん。奥に具志堅隆松さんが座っている。10:59

続いてキリスト者の方々が。

平良修牧師が祈りの言葉を語る。11:03

皆さん牧師さん。こういう場面で撮ることあまりなく、私はいささか緊張する。11:04

お祈りの核心部に入る。体験と思いが重なる。11:04

11:50から県の式典が始まった。同じ頃から雨が降ってきた。

12:38 雨、寒い。カメラも濡れた。

13時頃県の式典が終った。終ったら玉城デニー知事がこちらに挨拶に来るらしい。マスコミの記者がどっと押しかけてきた。

知事は予想外のとこから現れて、テントの中に入った。私は全く見えなかった。挨拶以上のものでなかったようだ。具志堅さんは不承認の根拠に「遺骨混じりの土砂を使うことは人道的立場から容認できない」を加えるように伝えた。署名用紙の提出は、後日渡すそうだ。

淡々と経過を説明する具志堅隆松さん。13:56

DNA鑑定を進めてきた報告(お名前を忘れてしまい、申し訳ありません)。厚生労働省が国の責任として遺骨のDNA鑑定を促進すべきだと。

科学の力を活かすのは人間の政治の力だろ。こうした動きは人道の問題でありながら、誰が、どこで、どのように亡くなったのかを知る事実を見きわめることでもある。13:59

13:59 DNA鑑定などの取り組みを補足する。国への働きかけを強めようと。

14:04 長年、遺骨を家族の元に取り戻す取り組みを積み重ねてきた人の実績は、凄い。奇跡のような確率なのに、遺骨と家族を探し当ててきた。また遺族が生存していなくても、遺骨から出身地が分かるという。だから郷里に戻すことはできるというのだ。

先日の、防衛省、厚生労働省との交渉に遺族代表で出られたという方。この場に来て、思いを新たにしていらした。14:06

戦没者の遺骨を基地建設に使う非を語るご遺族。14:11

国の新基地建設を巡る「変更申請」に県知事は、「不承認」に人道的理由を加えるべしと、ハンストの意義と状況を語る北上田毅さん。14:17

真摯に継続してきた人達の思いは、鮮明だ。

集会の最後に歌がある。

「月桃」を歌う。沖縄では誰もが知っており、口ずさめる歌になっている。14:28

海勢頭豊さん。「月桃」と「喜瀬武原」を弾く。この人達の存在感は、柔らかさの中に確かなものがある。いつもありがとう。14:31

ここに大熊亘(中)と小暮みわぞう(右)さんがきていたのか。14:37

彼らの代表的な曲2曲をやった。(約10年ぶりに見た、聴いた、驚いた)。14:40

彼は石垣出身の人で長年糸満に住んでいるという。孫たちが歌っている「忘れなぐさの歌」を聞かせてくれた。八重山では多くの住民が日本軍にマラリア危険地帯に追い出されている。マラリアに罹り苦しみ、多くの人々が亡くなった。子どもたちが歌う「忘れなぐさの歌」はじんわりくる。14:45

私は、具志堅さんに挨拶を交わし、失礼した。大変お疲れの様子だった。

雨は小降りになっており、平和の礎にちょっとだけまわってみた。礎(いしじ)の脇に置かれた花たち。15:19

コロナ禍でも案外多くの人がいらしている。沖縄で起きたことを忘れない。思い起こし、語り繋いでいく人たちだ。

私たちやまとんちゅうこそ思い起こさなければならない。何が起きていたのかしらなければならない。

雨に煙る摩文仁の海。15:25

 

 

 

 



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