私の故郷は、群馬県の中央部の渋川市である。生まれた時は群馬郡金島村だったと思う。昭和の大合併で渋川市になった。生家は、榛名山の山麓にあり竹林に囲まれた静かな環境であったらしい。農地解放で水田を手放さざるを得なかった両親は、家の周りの竹林を開墾し桑を植え、養蚕に取り組んでいた。私の、一番最初の記憶が母、もしくは姉の背に負われ、蚕に桑の葉を与える場面だった。それからわが家が養蚕をやめるまで、蚕が桑の葉を食う音がワサワサと聞こえたのを思い出す。
わが生家があった地域は、榛名山の山麓は昔榛名山の噴火で噴出した軽石層が厚く積もり、当時は「軽量ブロック」という名で建材として絶賛され、そのために掘り出した後から大雨で土石流が起こり、市役所職員だった兄が夜中にかけつける場面もあったと思う。
榛名山は、文人墨客が伊香保温泉を拠点に遊んだ場所でもある。私が子どもの頃は、榛名湖は冬には全面結氷し、スケーターの天下であった。その後、地球温暖化の影響、他にスケートができる環境ができたことなどもあって、スケート場としての役割はなくなったらしい。
榛名へは、中学校の林間学校、高校時代の相馬山登山、生物部の榛名山での植物調査などで登る機会があった。高校山岳部はあまりにも俗化されたこの山を登山対象にはしていなかった。
それでも、詳しく調べれば色々と面白いことがありそうである。
私は、家族を連れて榛名山神社に出向いたり、子どもの小さいころに榛名富士のロープウエイを利用したりしたことがあった、一度機会を見つけ、榛名湖から鬢櫛、烏帽子などに登りスルス岩などを経由して相馬さんから水沢観音に下るコースなどを歩いてみたい。
ところで、相馬山ふもとの水沢観音には「水沢うどん」があって、「日本三大うどん」に数えられているという。過去に一度妻をともなって水沢うどんを食したが、私は「日本三大うどん」(さぬき、水沢、秋田・いなにわ)の中でもうどん本来の美味さをもっているうどんであると確信してやまない。
写真は高校生物部の植物調査で榛名山を歩く「山クジラ」。
榛名湖畔で妻といっしょに
わが生家があった地域は、榛名山の山麓は昔榛名山の噴火で噴出した軽石層が厚く積もり、当時は「軽量ブロック」という名で建材として絶賛され、そのために掘り出した後から大雨で土石流が起こり、市役所職員だった兄が夜中にかけつける場面もあったと思う。
榛名山は、文人墨客が伊香保温泉を拠点に遊んだ場所でもある。私が子どもの頃は、榛名湖は冬には全面結氷し、スケーターの天下であった。その後、地球温暖化の影響、他にスケートができる環境ができたことなどもあって、スケート場としての役割はなくなったらしい。
榛名へは、中学校の林間学校、高校時代の相馬山登山、生物部の榛名山での植物調査などで登る機会があった。高校山岳部はあまりにも俗化されたこの山を登山対象にはしていなかった。
それでも、詳しく調べれば色々と面白いことがありそうである。
私は、家族を連れて榛名山神社に出向いたり、子どもの小さいころに榛名富士のロープウエイを利用したりしたことがあった、一度機会を見つけ、榛名湖から鬢櫛、烏帽子などに登りスルス岩などを経由して相馬さんから水沢観音に下るコースなどを歩いてみたい。
ところで、相馬山ふもとの水沢観音には「水沢うどん」があって、「日本三大うどん」に数えられているという。過去に一度妻をともなって水沢うどんを食したが、私は「日本三大うどん」(さぬき、水沢、秋田・いなにわ)の中でもうどん本来の美味さをもっているうどんであると確信してやまない。
写真は高校生物部の植物調査で榛名山を歩く「山クジラ」。
榛名湖畔で妻といっしょに