「夏が来れば思い出す、はるかな尾瀬、遠い空」の歌で知られた尾瀬。山と渓谷社の「分県ガイド」の群馬版で紹介されているは至仏山である。
尾瀬には高校時代2度、社会人になって2度出かけている。
最初は高校山岳部の行事で、アヤメ平から尾瀬ヶ原に出て鳩待峠に抜けたのだと思う。当時アヤメ平は、登山者に踏み荒らされて湿原が泥田のようになっていた。それでも、初めて見るミズバショウの可憐さに感動したものであった。その年の夏、中学時代の仲良したちと中学時代の副担任で尾瀬沼から入り、下田代十文字の小屋に泊まり、三条の滝などを見学して翌日は至仏に登って鳩待峠に降りた。男女入り混じってのパーティーで、高校山岳部の私はリーダー的役割を果たして楽しかった。
岩手にいついてしまってなかなか尾瀬に出かける機会はなくなったが、ある年長男、次男をともなって燧ケ岳をこえて尾瀬ヶ原に出るコースを歩いた。夜行で車を走らせ、桧枝岐側から入った。尾瀬御池の駐車場に車を止め、広沢田代、熊沢田代などを経由して燧ケ岳にまっすぐ登る道を行く。4時間余りで燧ケ岳の一つの山頂である俎(2,346㍍)に着く。いったん下ってもう一つの山頂である柴安(2,356㍍)に立つ。この日の山頂はかなり風が強かった。柴安から一気に下って尾瀬ヶ原の端である下田代十文字に着く。下田代十文字からは温泉小屋にでて、三条の滝を見物、いわゆる燧裏林道というだらだらと長い平坦な道をたどって尾瀬御池に戻った。それから関越に抜けるまでが、道が狭いので妻や長男に運転をさせるわけにもいかず、眠いのをこらえながらの運転で大変だった。
さらに2000年代に、山行きを時折一緒していたSさんを誘って、至仏経由で尾瀬ヶ原をめぐる旅に出た。この時は、麓の民宿に前泊し、鳩待峠までシャトルバスで行き、ここから至仏山をめざした。真夏の晴れ渡った空のもとでの登りは暑くて閉口したが、山頂から見た尾瀬ヶ原の風景は忘れがたいものになった。その夜は山の鼻小屋に泊まり、尾瀬ヶ原を横切って、下田代十文字からアヤメ平にむけて登り、鳩待峠に出てシャトルバスで戻り前泊した民宿で泊まって翌早朝に金精峠をこえ、戦場ヶ原を少し眺め東北道経由で岩手に帰った。
中学時代の仲良したちと尾瀬へ

山岳部の行事で霧のアヤメ平

山岳部の記念写真

熊沢田代で

燧ケ岳山頂で

至仏をバックに

三条の滝で
尾瀬には高校時代2度、社会人になって2度出かけている。
最初は高校山岳部の行事で、アヤメ平から尾瀬ヶ原に出て鳩待峠に抜けたのだと思う。当時アヤメ平は、登山者に踏み荒らされて湿原が泥田のようになっていた。それでも、初めて見るミズバショウの可憐さに感動したものであった。その年の夏、中学時代の仲良したちと中学時代の副担任で尾瀬沼から入り、下田代十文字の小屋に泊まり、三条の滝などを見学して翌日は至仏に登って鳩待峠に降りた。男女入り混じってのパーティーで、高校山岳部の私はリーダー的役割を果たして楽しかった。
岩手にいついてしまってなかなか尾瀬に出かける機会はなくなったが、ある年長男、次男をともなって燧ケ岳をこえて尾瀬ヶ原に出るコースを歩いた。夜行で車を走らせ、桧枝岐側から入った。尾瀬御池の駐車場に車を止め、広沢田代、熊沢田代などを経由して燧ケ岳にまっすぐ登る道を行く。4時間余りで燧ケ岳の一つの山頂である俎(2,346㍍)に着く。いったん下ってもう一つの山頂である柴安(2,356㍍)に立つ。この日の山頂はかなり風が強かった。柴安から一気に下って尾瀬ヶ原の端である下田代十文字に着く。下田代十文字からは温泉小屋にでて、三条の滝を見物、いわゆる燧裏林道というだらだらと長い平坦な道をたどって尾瀬御池に戻った。それから関越に抜けるまでが、道が狭いので妻や長男に運転をさせるわけにもいかず、眠いのをこらえながらの運転で大変だった。
さらに2000年代に、山行きを時折一緒していたSさんを誘って、至仏経由で尾瀬ヶ原をめぐる旅に出た。この時は、麓の民宿に前泊し、鳩待峠までシャトルバスで行き、ここから至仏山をめざした。真夏の晴れ渡った空のもとでの登りは暑くて閉口したが、山頂から見た尾瀬ヶ原の風景は忘れがたいものになった。その夜は山の鼻小屋に泊まり、尾瀬ヶ原を横切って、下田代十文字からアヤメ平にむけて登り、鳩待峠に出てシャトルバスで戻り前泊した民宿で泊まって翌早朝に金精峠をこえ、戦場ヶ原を少し眺め東北道経由で岩手に帰った。

中学時代の仲良したちと尾瀬へ

山岳部の行事で霧のアヤメ平

山岳部の記念写真

熊沢田代で

燧ケ岳山頂で

至仏をバックに

三条の滝で