山クジラの田舎暮らし

岩手県北の田舎に生息する「山クジラ」です。定年後の田舎暮らしや趣味の山行きのことなど、発信していきます。

故郷の山⑤=妙義山

2012-06-09 18:53:40 | 山行き
 妙義山は赤城、榛名とならんで上毛三山に数えられる名山である。妙義山は松井田町の近くにあり、ごつごつした岩場が連なった山である。
 渋川高校山岳部の合宿で1回目はいわゆる表妙義、白雲山、相馬山などを歩いた(写真はその時写したもの)。2回目は裏妙義で丁須ノ頭を登るコースだった。どちらもかなりの岩場で鎖場が連続し、岩になれていない初心者だと立往生をしてしまう。
 それからしばらくして、妻と次男をともなって表妙義の白雲山へのコースを5月の連休に歩いた。私は、高速道をほぼ徹夜の運転で体調が思わしくなく、妙義山神社の裏手から白雲山に登っていく鎖場で息を切らしてしまい、途中でリタイア。妻と次男は白雲山まで行ってきたが、私は休憩していてそのまま妙義自然探勝路をたどって妙義山神社に戻ってきた。

鎖場を登る妻

白雲山山頂で=妻

オモダカの除去

2012-06-09 18:22:17 | 農作業
 今日は低気圧の北上で、曇りから午後は雨になった。午前中と午後のはじめ、一番上の田んぼでオモダカとヒルムシロの除去作業をした。今年は除草剤を散布したので、他の雑草は基本的には防げるはずである。ところが、オモダカとヒルムシロは除草剤を撒いても、平気で生育を始めている。オモダカは、玉のような形の「球根」?で冬を越すので、除草剤の影響を受けず芽をだす。ヒルムシロは水草なのだが、除草剤どこ吹く風で葉を広げ始めている。昨年は、除草剤を散布せず、除草機をかけ手作業での除草だったが、オモダカは元気で稲と同じ位の高さに育って白い花を咲かせた。ヒルムシロも除草機などは全然こたえないで、むしろちぎれたところからさらに葉を広げ、田んぼの一部を覆ってしまい不気味な形の花を水面上に咲かせていた。この時の教訓から、芽を出し始めた時期にオモダカとヒルムシロを一本一本手作業で抜いてしまおうということで、一番上から作業をしているのだ。ところで、一番上の田んぼは除草剤の分量を少なく散布したようで、コナギがたくさん芽を出している。引き続き、手作業による除草が必要な感じで頭が痛い。
 写真の右側の4本がオモダカで玉のような部分がわかる。左側の3本はヒルムシロである。

ガンの集団検診を受ける

2012-06-09 07:50:21 | 日記
 今日(9日)はわが地域のガン集団検診なので、私も受診した。糖尿病のおかげで毎月1回の検査があり、診療所に依頼して年に1度の職場健診並みの検査をしてもらっているので、肺はきれいなもので診療所の医師は「とくに心配ないでしょう」ということだったが、大腸系や肝臓、腎臓、胃などの検査は最近していないので、検査を申し込んでおいた。大腸系は大便をとって渡すだけなので、それで終わりだが、肝臓、腎臓、膵臓などはエコー(超音波)による検査だ。胃もバリュウムを飲んでの検査で、いつもながらげっぷが出そうでつらい。とにかく、集団検診は受け付けが6時30分からだが、1時間前に行くとすでに30人以上が待っていた。年に1度の年中行事というところだろうか。

故郷の山④=谷川岳

2012-06-09 03:17:28 | 山行き
 谷川岳といえば、関越道などから見える「耳ふたつ」と言われるトマの耳、沖の耳からなる狭義の谷川岳と、三国峠から始まり、谷川岳を経由し一ノ倉などを通って清水峠で折れて朝日岳、白毛門などに至る長大な谷川連峰の広い意味での谷川岳が考えられる。
 私が谷川岳を知ったのは中学生の時で、なぜか美術部に属しその顧問が私のクラスの担任で、「スケッチ旅行」なる名目で谷川岳に連れて行ってくれた。もちろん天神尾根を登り厳剛新道を下るという、いわばハイキングコースだが「山は素晴らしい」などと一人前に思ったものである。その年のお盆の時期に、やってきた義兄(長女の夫)といっしょに同じコースを歩いた(中学生の時の写真が1枚もないのは残念)。
 私は渋川高校に入学し山岳部に入った。山岳部の夏山合宿が三国峠から谷川岳、さらに朝日岳、白毛門までの大縦走計画だった。身体が小さかった私は、情けないことに1日目ののぼりでバテてしまい、荷物を減らしてもらってやっと谷川岳の肩の小屋付近のキャンプサイトまでたどり着いた。この時は、台風の接近を知って顧問の先生が下山を指示し、湯檜曽川に降りてキャンプを張り、1日停滞して台風の通過後に白毛門まで往復したのだと思う。この時も、ろくに写真が残っていない。
 山岳部も夏合宿が終わると、自分で山行きを計画できるようになる。2年生の初夏に、同じ山岳部の仲良しだったT君と厳剛新道を登り、天神尾根に降りる計画をたて実行した。最初の写真が、この時山頂で写したものである。いっぱしの登山家気取りである。
 その後谷川に行くこともなかったが、娘が宇都宮大学に在学している時、家族そろって群馬へ里帰りした際、家族を谷川岳に案内した。案内したといっても私は当時体重が80㌔もあって、減量のために運動として登山を始めたばかりで、子どもたちについていくのがやっとの状態だったし、昔持っていた登山用具もすっかりなくなって、ディパックと水筒位しか持ってもいなかった。天神尾根にケーブルで上がり、緩やかな尾根を登っていくと、中学、高校のあのころ私を迎えてくれた谷川岳の姿が目の前に迫り、また帰ってきたという感じがしたものである。いつか妻といっしょに谷川連峰の長大な稜線をたどる旅をしてみたいと思っている。
マチガ沢の出会いで

夏合宿での写真=俎

谷川岳山頂で

西黒尾根で子供たちと