こんにちは。センター「つどい」の新福です。
前回の投稿の続きです(*^_^*)
【さらに大信寺のご協力をいただいて・・・写真のカラー化】
今年に入り、先週まで写真展「仰天 60年前の八尾のまち」の後編が開催されました。
そこで展示されていた写真の中で「高安山は、はげ山」の写真を拝見し、今回もこの展示物を提供いただきました。
旧北高安小学校の一室である「きんたい博物館」に寄贈できないか交渉中です(*^_^*)
大信寺さんのご協力によりカラー化
大信寺さんに太鼓楼の写真を提供した際に「PhotoshopでAIが自動でカラー化する機能があるので、カラーにしてみました(*^-^*)」と仰られました。
太鼓楼がカラーになって甦った写真に驚きを隠せませんでした。
「カラー化はNHKアーカイブスなどテレビ局のような特殊な映像技術を持っている所でないと出来へんもんやと思ってました。」と業務責任者の新福は思わず応えてしまいました。
後日、「高安山は、はげ山」のカラーにされた写真が、数日前に届きました。
ネガでないので、展示物を写メしたこともあり、山肌の色合いをAIでは識別ができず、ぼやけてしまったようです。
それでもこのリアル感は、驚きと嬉しさでとても興奮しました。
ご縁をつなぎ、ささやかなコーディネートが出来、ありがとうございました。
※ カラー化した画像は期間限定の公開にさせていただきます。
ご覧になりたい方はまた、つどいにいらしてくださいませ。
2階に期間限定で展示させていただきます。ご了承くださいませ🙇♂️
これは、つどい登録団体に提供できることが決まるまで「つどい」2階のホールに提供させていただいています。
簡易な展示でごめんなさいね(/ω\)
【市民と行政の共有財産を今後の利活用につながれば・・・】
このお写真は、1961(昭和36)年に田中幸太郎さんが撮影されたお写真です。
直木賞作家の今東光氏の勧めで、撮影をされたお写真です。近年、今東光資料館にネガや現物のお写真を寄贈されました。
八尾市の八尾市民の貴重な共有財産としてインターネット等で写真を共有し利活用が進めば、歴史・文化・観光面でもとても寄与する情報・財産だと思います。
今回の提供が、その先駆け・きっかけになれば、とても嬉しいです。
ありがとうございました(*^_^*)
展示会【仰天 60年前の八尾のまち】の撤収作業にお手伝いしました(*^_^*)
エピローグ
カラー化すると鮮明でリアリティが出ますね😀
骨折を機に引退しましたが「高安山自然再生定期活動」を12年半に渡り携わらせていただいた者として、この写真のはげ山には改めて驚きました。
聞いてはいましたが「ほんまやったんやー!」と。
この写真、60年前の高安山の風景です。
桃太郎さんのお話の通り、「お爺さんは山へ柴刈りへ行きました。」が、イメージ出来ます😌
やっぱり里山整備を通じて、ほどほどに資源の利活用をしながら、山崩れの防止と湧水の確保につながればと思います。
今回、つなげさせていただいた事で、大信寺さんのご協力により、試験的にカラー化が実現しました。
市民と行政の共有財産を今後の利活用につながればとも思い投稿させていただきました。
今東光資料館さんにネガや現物のお写真を寄贈されました八尾市の八尾市民の貴重な共有財産を、インターネット等で写真を公開・共有され、利活用が進めばと思いました。
そうなれば、歴史・文化・観光面でも、とても寄与する情報・財産だと思います。
ライオンズクラブさんなどの奉仕団体さんも協賛していただきやすいかもですね。新しい取り組みや協働テーマになればええですね。
今回の提供が、その先駆け・きっかけになれば、とても嬉しいです。ありがとうございました(*^_^*)
こんにちは。
センター「つどい」の新福です。
プロローグ:「和ろうそくは、つなぐ」お話会から・・・
さて、昨年11月下旬に「和ろうそくは、つなぐ」お話会を主催した、つどい登録団体「八尾で絵の本ひろば広げよ会」に「和ろうそくは、つなぐ」の書籍を基に図解にした資料を提供しました。
(下記が図解にした資料です!)
御陰様でお役に立ったようで、会場参加者・関係者から喜びのお声をいただきました。
▼その時の取材ブログは、こちらをどうぞ▼
「和ろうそくは、つなぐ」お話会【その1】
「和ろうそくは、つなぐ」お話会【その2】
開催後、数週間が経ち・・・つながりは続く・・・
開催後、数週間が経ち、岩崎さんがつどいに来館。喜びの声を届けていただきました。
「プリズムホールで、写真展「仰天 60年前の八尾のまち」が始まったので、覗きに行ってほしい」と言われました。
開催案内を見ると企画・運営がつどい登録団体「特定非営利活動法人八尾すまいまちづくり研究会」でした(主催は八尾市)。
これは例年、市役所市民ロビーで展示会をしていた長年の取組みだと思い、ご挨拶と取材に・・・。
【そこで出会った60年前の八尾のお写真】
驚くばかりでした。
なぜなら、撮影された建物・寺院には記録にないだろうというお写真だったからです。
「仰天 60年前の八尾のまち」で展示されたお写真等の内容・解説は下記の八尾市ホームページをご覧くださいませ。
「令和4年度個性豊かな住環境づくり事業展示会を開催します」
【そこでハッと気づき、情報提供へ】
展示されていた大信寺の太鼓楼の写真。
あれれと、これは、現在の山徳の天ぷら屋さんの場所では。
そこで、ひとつの仮説を立てました。大層ですね(*^_^*)
戦後、シロアリ被害で本堂が倒壊した大信寺さんには、当時の記録はないのではないか。
主催者に一言「この展示している写真を大信寺にて提供したいので、お譲りいただけないですか。」とご相談しました。
すぐに大信寺さんにお話しすると「太鼓楼の写真は見た事がありません。ぜひ展示したいのでいただきたい。」と即答いただきました。
後日ご提供することになりました。
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また、同じ本町にある光専寺近辺の写真提供も光専寺さんにお話し「ぜひ展示したいのでいただきたい。」と即答いただきました。
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両寺院は当時の様子がわかる写真の記録がないことから写真提供を希望され「つどい」を通じて両寺院に写真を提供しました。
また大信寺には国土地理院のホームページに航空写真から年代別に敷地の様子を閲覧及びダウンロードが出来ることを添えました。
さらに八尾図書館所蔵の「中河内郡誌」に大正時代の大信寺本堂の写真が掲載されていることも情報提供しました。
これらの情報は、企画・運営されている「特定非営利活動法人八尾すまいまちづくり研究会」さんから教えていただきました。
【八尾のまちは、写真等の記録がないのかも?】
これまでの蓄積と仮説を立てて、写真の記録という情報を提供し、写真という物を提供しました。
大層ですが眠りかけていた地域資源を発掘し、必要であろう方に情報を提供させていただいたと言うコーディネートの一環になりました。
これも「中間支援」「つなぎ役」の役割として、誰も気づいていないところを提供する「つどい」の役割でもあるんでしょうね。
八尾には、ひと・もの・エネルギー・情報などがあるまちです。しかし・・・
当事者が記録をお持ちでない。違う場所には記録があっても、当事者は知らない。
「ここにあなた(当事者)の記録が残っていますよ。見つかりましたよ。」と気付き伝える方が居ない。
今回は、大信寺さんなどの事例を通じて気付かせていただきました。
八尾のまちは、つながりが途絶えていたり、届いていなかったりしているのも特徴的やと思います。
皆さんが意識をして、後世につなげていく意識をもっていただく「つなぎ役」を意識して行くことが大切やと思います。
この共通認識を皆さんに伝えられたら、良いと思い投稿しました。地域の歴史、文化が、将来にもつながれば、嬉しいです😌