スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

魚荷道を行く①

2014-09-27 | 鎌倉・逗子・葉山


「魚荷(うおに)」とは、文字通り魚を運ぶ荷駄のこと。
江戸文政の頃、相模湾で獲れた生魚を江戸・日本橋の魚河岸まで届けるため
逗子の田越から桜山・沼間を経て 横須賀の榎戸湊まで、馬で荷を運んだ「魚荷道」を
ガイドさんの案内で 途中の山越えも楽しみながら、周辺の寺社を訪ねて歩きました。


伊豆や真鶴で獲れた魚は、相模湾から逗子市内を流れる「田越川」を舟で運び、名主 石渡家の
屋敷の前で荷揚げして馬の背に積み替え、榎戸まで運んだのち 海路を江戸に向かいました。

荷揚場跡

道路沿いにある長い塀の邸宅が「石渡家」。 
中世からの土豪で「
神武寺」の筆頭檀家。 江戸時代後期、屋敷の前で
舟を停めて荷揚げし、馬に積み替えて榎戸まで運び、海路にて江戸まで
運ぶ差配をしていました。 川に面した石垣に、荷揚場の跡が残っています。



笹の葉を敷き生魚を入れた籠を、馬の背に左右5籠ずつ積んで
さぁ、ここから魚荷道のスタートです☆
ほどなく右手に

海向山 宗泰寺

真言宗のお寺で、通称「さくら山寺」。
本尊: 阿弥陀如来
以前訪ねたとき、ご紹介しましたね。

「木造十王像」と「奪衣婆坐像」が市の重要文化財になっています。


        
(画像は逗子市HPより)
十王像は、1685(貞享2)年 鎌倉扇ガ谷の加賀仏師の作といわれます。



住宅街の道が右へ緩やかにカーブしていくと、変わった外観のお寺が・・
茅葺屋根のお堂が建て替えられ、近代的な建物になりました。

恵日山 金剛寺

真言宗
創建: 18世紀ごろ
本尊: 阿弥陀如来
阿弥陀如来像は江戸初期の作。 建物左端のガラス戸越しに拝観。 
他に十一面観音坐像・不動三尊像。 


 

R24 (逗子大師通り)に出ました。 
横須賀方面へ進み 消防署前辺りで右へ入って行くと、山裾に石の鳥居。
そこから、長い石段をひたすら上ってゆきます
          

桜山大神宮

祭神: 天照大神
桜山地区の総鎮守。 一説に、神武寺の山王社ともいわれます。
「神明社」と書かれた扁額は、東郷吉太郎中将(東郷元帥の甥)の筆。






R24 沿いの「福祉会館入口」交差点右に、たくさんの石塔が並んでいます。
嘗て周辺に祀られていたものが集められたのでしょうか。

桜山石塔群


地蔵・馬頭観音・堅牢地神塔・庚申塔・徳本塔など。

          
激しく風化した地蔵像は「疣(いぼ)地蔵」と呼ばれ、弘法大師の作と伝わります。





R24 「警察署入口」交差点向かいの路地を奥へと入って行くと、
覆屋に卵塔が1基祀られてあり、「入定さま」と呼ばれています。


この辺りは 廃仏毀釈で廃寺となった「地蔵院」の境内で、円求という法師が
諸国行脚の末 此処で地下に掘った穴に入り、竹筒で呼吸を補いながら
食を断ち、鐘を鳴らし念仏を唱え続けて 7日後に入定されたと・・



R24を進んで また右の道に入ると、奥に 直登する急勾配の石段。

蓮沼山 観蔵院

天台宗
開山は724(神亀元) 1716(正徳6)
年 中興
本尊: 十一面観世音菩薩
御像は7年毎に行われる祭の際に開扉されるとか。
三浦三十三観音第十三番御札所

境内の一隅、覆屋に赤い前垂をした石像が祀られてありました。
地蔵様かと思ってよく見ると、頭に馬の顔を乗せた馬頭観音でした。




「火の見下」の交番前の信号右側 大樹の根元に石塔群。

火の見下石塔群

「宝暦四年」と刻銘がある宝篋印陀羅尼塔は、
中に経文が入っていたといわれています。


反対側の金網の中に並んだ石塔も、庚申塔のようです。




五霊神社

沼間地区の鎮守
祭神: 天手力男命
源義朝が、沼浜の舘の守護神として勧請したのが始まりと。
此処も
以前ご紹介したことがありましたね。

「かながわの名木100選」に選ばれている境内の大イチョウの巨木から
落ちたギンナンの匂いが境内中にただよい、拾う人の姿もちらほら


住宅街を過ぎ、やがて横横自動車道路のガードをくぐった辺りから
次第に人家がなくなり、山道へと入って行きます。
横須賀はこの山越えのあと・・



(続)



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