スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

魚荷道を行く②

2014-09-27 | 鎌倉・逗子・葉山



山越えの道を歩いて、逗子市から横須賀市へと入っていきます。



途中から、「鷹取山」のハイキングのときに通った道になりました。
その道をどんどん進み、道標に従って追浜方面へ下っていきます。




高台から眼下に長浦港を眺めながら、「浜見台」の住宅地を過ぎて・・



梅田隧道記念之碑」 
          
1882(明治15)年 海軍水雷艇基地などの建設のため、周辺の港が軍用と
なったため、漁民たちは軍の工場で働くようになりました。しかし、通勤には
険しい山坂を越えねばならず難渋していました。 そこで土地の有志達が出資、
2年の難工事の末に、すべて民間人の手によるトンネルが1888(明治21)年
完成しました。 軍用以外では、市内で最初に建設されたトンネルだそうです。
碑の題字は、樺山資紀氏(海軍大臣)。 碑文は、田辺新之助氏。





楽浦山 能永寺

市内唯一の時宗のお寺。
1276(建治2)年 一遍上人が開いたといわれます。
本尊:阿弥陀如来



本堂は1843(天保14)年 築

ご本尊のほか、観音菩薩像・勢至菩薩像・胎蔵地蔵尊像など。
寺裏の「榎戸貝塚」からは、縄文期の骨角器が出土しています。

地蔵十王図掛軸
(画像は市HPより)

画幅:141cm × 47cm 市指定重要文化財
寺伝では中国画家 陸信忠の筆といわれますが、中国画の強い影響を
受けた室町中期の日本の画家の筆によるものと考えられています。





「浦郷公園」を通り抜けて、「深浦湾」に到着☆


嘗ては「能永寺」門前辺りまでが海で、「榎戸湊(えのきどみなと)」と呼ばれる
海上交通の要衝でした。 逗子から運ばれてきた魚は、此処から船で江戸へと
運ばれたのです。 現在ではすっかり埋立てられ、往時の面影はありません・・


魚荷道を辿って、逗子の田越から横須賀の深浦まで
今回も よく歩きました~☆

24,610歩



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