スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

三田~高輪②

2013-12-28 | 東京・川崎


「泉岳寺」の中門と「高輪学園」の間の細い路地を進んで行くと、
広い通りに出ました。 道沿いの右側石垣の上に小さな石碑。

大石良雄等自刃ノ跡」とあります。
          
カメラを向けていると、通りがかった人が「この奥だよ」と。 
では、
行ってみましょう!

「都営高輪一丁目アパート」の敷地の奥に、門?




この辺り一帯に 嘗て熊本藩細川家下屋敷があり、討入り後の
大石内蔵助ら17名の赤穂義士達が預けられたそうです。
現在は草木が繁るばかりの空き地で、入ることはできません。


元の道に戻り、さらに歩いて行きます。




この道は、江戸時代に海沿いの東海道が整備されるまでは
街道として使われ、幸い戦災にも遭わなかったため
昔の雰囲気をとどめる佇まいの商店などもみられます。

羊羹で有名な「虎屋」さん



「高輪」の地名は、昔 江戸湾に面した高台にある縄手道だったことから
「高縄手」→「高輪」となったといわれます。 
その高縄手にあった「上行寺」と
いうお寺の門前の塚に2本の榎の大木があり、旅人の目じるしになって
いたそうで、
この通りの名も「二本榎通り」と呼ばれています。




道の左側にあるお寺の山門前に、珍しい狛犬さん?

長祐山 承教(じょうきょう)

日蓮宗のお寺です。


怖いというより、どこかユーモラスなお顔☆

これは「犬」ではなく、半人半牛の怪獣(?)で その名も 読んで字の如く「件(くだん)」。
人間の言葉を話し 彼の予言は
必ず的中するとか。 間違いがないという意味から
「件の如し」という言葉が生まれたのだそうです。  へぇ、そうなんだ~


傍に、「二本榎の碑」



仁王門


本堂前に
「英一蝶の墓」
          
英一蝶(1652-1724)は、江戸中期の画家で 本名は多賀信香。
絵画のほか 俳諧・書・音曲にも秀でた通人で、芭蕉や其角などとも交流があった
そうですが、46歳の時 将軍綱吉を風刺した絵を描いたとして三宅島に遠島。
12年後に赦免されて江戸に戻り、「一蝶」を名乗るようになったといいます。
墓は明治初期に再建されたもののようで、「北窓翁」も号の1つとか。


(続)



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